タイコン官との別れ
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孫太郎はバンジャルマシンで何不自由なく暮らしていたが、年を経るにつれて望郷の念に駆られるようになり、寝ても覚めても故郷を思い出すようになっていった。そのため、孫太郎はなんとか故郷に帰るべく、中国人たちが儒教思想から来る「孝」の精神を最も重視し、肉親を大切にしているということをヒントに、ある作戦を思いつく。 そして孫太郎がバンジャルマシンに来てから6年後の明和7年(1770年)秋、ついに孫太郎にチャンスが巡って来る。この日、タイコン官は外出しており、屋敷にはタイコン官の老母と孫太郎が残されていた。老母は肩の調子が悪かったのだが、掛かりつけの医者がこの日は来られなかったため、孫太郎が老母の肩を揉むことになった。孫太郎は老母の肩を揉みつつ、他に誰も聞いていないことを確認した後、日本に残されている年老いた両親が気がかりであること、自分には兄弟がいないために誰も両親の面倒を見る人がいないことなど、自分の身の上を老母に告げた。その話を聞いた老母は涙ぐみ、孫太郎の境遇に大変同情したのだが、実はこれらの身の上話はすべて嘘であり、孫太郎の母は孫太郎を産んだ時に亡くなっており、父も15歳の時に死別していて、故郷には兄が1人いるだけであった。 それから数日後、孫太郎は主人のタイコン官に呼び出された。タイコン官は孫太郎に日本に帰りたいのかどうか尋ね、これに対し孫太郎は両親の最期を見届けたらまたバンジャルマシンに戻り、タイコン官に再び仕えると答えた。孫太郎の答えを聞いたタイコン官は、日本は遠い国であるから一度行ったら帰って来られるわけがなく、お前の事は当家が30文で買ったのだから、当家に一生仕えなければならないはずであると言いつつ、孫太郎の両親を思う気持ちは、母から聞いてよくわかったので便船があり次第日本に帰ってもいいと告げた。その後もタイコン官は孫太郎の帰国に協力的で、孫太郎が長崎行きのオランダ船に乗れるよう取り計らったのもタイコン官である。 そして翌明和8年(1771年)4月、バタヴィアに向かうオランダ船が入港し、孫太郎はその船に便乗することになった。孫太郎の帰国に際して、タイコン官や仲間は、 蚊帳1帳 剣1振 木綿4,5端 先住民の民族衣裳3、法被3、枕1 藤葛の茣蓙と籠、羅紗1反 鼈甲1枚、インコ1羽とそのエサ といった大量の土産を孫太郎に持たせ、浜辺まで見送りに出た。その時の様子について、 「老母をはじめ、家内の人々殘らず皆濱邊に出て、銘々別れをおしミける。老母ハ下男の肩に手を掛、片手に杖を突き、孫七に申しけるハ、汝、願ひ叶ふて、噫(ああ)、本望成べし。日本に歸り、我が情を思ひ出さバ、父母に孝行盡せ。隨分船中息災にて首尾能(よく)古郷へ歸れよ、と有ければ、孫七も別れをおしみ、此年月の御高恩に此度の御情ケ、寢覺めにも忘るる事候(さうら)まじ。御老母様隨分隨分御機嫌よく御渡り遊され候(さう)らえと、相述(あひのべ)る。其外主人を始、家内隣家の人々に至る迄、夫夫暇乞(それぞれいとまごひ)をなす。七八年此(この)かた馴染を重ね、至極心安ク語り合し人々なれバ、誰一人も涙を飜(ひるがへ)さぬ者もなし。孫七も古郷へ歸るハうれしけれど、深く情を受し人々なれバ、さすが離れ難く、眼をうるおし、さらバ暇乞(いとまこふ)」 【現代語訳=老母をはじめ、家中の人々は皆残らず浜辺に出て、それぞれ別れを惜しんだ。老母は下男に肩を借り、片手では杖をつきつつ、孫七にこう言った。「お前さん、願いが叶ってきっと本望であろう。日本に帰って、私の情けを思い出すのであれば、その分両親に親孝行しなさい。船旅で病気にかかったりせず、無事故郷に帰りなさい」と言って下さったので、孫七も別れを惜しみ、「ここに来て以来の恩義に加え、この度のこのお情け、決して忘れることはありません。御老母様もどうかどうかお元気でいて下さい」と礼を述べた。そのほかに主人を始め、家中の人々から近所の人々に至るまで、それぞれ別れの挨拶をした。7~8年にわたる付き合いで、心を許し語り合える人達であったので、誰一人として涙を流さない者はいなかった。孫七も故郷へ帰ることができるのは嬉しかったが、深く情を交わした人達であったので、なかなか離れ難く、目に涙を浮かべつつ別れを告げた。】 — 『漂流天竺物語』 と記され、孫太郎の帰国に際してたくさんの人が見送りに来たことがわかる。この後ボートに移った孫太郎と見送りの人々はお互いに見えなくなるまで手を振り合い、その姿が見えなくなった後も、見送りの人々はたき火をして、その煙で孫太郎を見送り続けた。
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