ソ連軍の反応とは? わかりやすく解説

ソ連軍の反応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:47 UTC 版)

ティーガーI」の記事における「ソ連軍の反応」の解説

ティーガーIは、より軽装甲ドイツ戦車に対して戦果上げていたソ連重戦車KV-1中戦車T-34対す対抗策として登場したとも言えるティーガーI東部戦線初登場したのは1942年12月だった。翌年1月鹵獲されたティーガーIソ連対抗策とらせることとなったティーガーI現れるまで、ソ連もっぱら戦車生産数量を重視し質的な改良量産遅らせるため見送られてきた。 ソ連対抗策はいくつかの形をとった。152mm砲を装備した自走砲早急な開発命じられた。SU-152自走砲25日という記録的な早さ設計完了し実地試験入ったソ連時代記録では、同車装備した一個連隊定数不足のままクルスク5月送られクルスクの戦い12両のティーガーIと7両のエレファント駆逐戦車破壊したとされた。しかし、ソ連崩壊後判明したデータにより、事実とは異なっていたことが判明している。損害の数においても、この戦いで様々な理由全損となったティーガー10ないし11両であり、同連隊SU-152ドイツ軍戦車を1両も撃破しておらず、同連隊SU-152中隊8両が1両のティーガーⅠ対峙したもの撃破できずにそのティーガーⅠによって一方的に撃破され、中隊壊滅した。この戦いにおいて、他のSU-152は1両がⅣ号戦車により撃破され、1両がパンターによって損傷したのち撤退、1両が故障し放棄、後に回収された。また、新型重戦車計画され1943年末に85mm砲装備のIS-85(後にIS-1)、1944年始めに122mm砲装備のIS-122(後にIS-2)が就役した。さらにこの車台使用したISU-152ISU-122自走砲完成したT-341944年には新たに85mm主砲装備した3人乗り砲塔与えられた。終戦間際には、新たな牽引式対戦車砲となるBS-3 100mm野砲供給された。これらの新兵器全て既存車両や砲の拡大改良型であったため、すぐに大量生産に入ることができた。 ソ連戦車の持つ最大威力は、ドイツ重戦車比較してのその圧倒的な生産量であったわずかに生産台数1,350両のティーガーIと、500両足らずのティーガーII生産されに過ぎない一方58,000両のT-34、4,600両のKV-1、3,500両のIS-2生産され合わせて66,000両のソ連戦車が1,850両のティーガーI/ティーガーII対していた。約6,000両が生産されパンター各型合計約8,200両が生産されIV号戦車を数に入れても、ドイツ戦車総数は約15,000両にしかならないため(ただし、ここには戦車同様に利用され突撃砲駆逐戦車含まれていない)、米英戦車計算入れなくてもソ連戦車総数ドイツ戦車総数の4倍以上という数的優位にあった

※この「ソ連軍の反応」の解説は、「ティーガーI」の解説の一部です。
「ソ連軍の反応」を含む「ティーガーI」の記事については、「ティーガーI」の概要を参照ください。

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