ソ連軍の大反攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 01:06 UTC 版)
「スターリングラード攻防戦」の記事における「ソ連軍の大反攻」の解説
9月12日~13日にスターリンとソ連軍最高指揮官代理ゲオルギー・ジューコフ上級大将と参謀総長アレクサンドル・ヴァシレフスキー大将はスターリングラードを防衛するための方策について協議した。この結果、スターリングラード市から離れた地域を起点として反攻を開始し、第6軍を大規模に逆包囲するという方針が決定される。これは3人だけの極秘事項とされた。以上の方針に基づき、ウラヌス作戦(天王星作戦)の準備が開始される。作戦は2ヶ月かけて準備した後、100万人の将兵と戦車部隊の6割に当たる980両でスターリングラードの北西および南の側面に配置されていたルーマニア軍に向けて開始された。各部隊は無線の発信を厳禁され、作戦目的も数日前まで極秘とされた。こうした情報封鎖の下で、数週間前から第62軍への弾薬補給も理由なしに削減されており、限界に近い戦闘に直面しているチュイコフが苛立つほどだった。加えて、悪天候が続いたために航空偵察が妨げられたのでソ連軍の大反攻はドイツ軍の裏をかいた。ドイツ軍は、ソ連軍予備兵力の量を甘く見ていたうえ、第二次ルジェフ会戦を予知し、9月以来中央軍集団に威力偵察を加えてきた予備兵力も、モスクワに近いルジェフに充てられると判断していた。予想通りルジェフでもソ連赤軍は11月25日よりジューコフの直率による攻勢を開始し、待ち構えた中央軍集団によって損害を受けたが、それは中央軍集団の兵力を移動させないための対策に過ぎなかった。
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