ソ連軍のアフガニスタン侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/02 15:14 UTC 版)
「アフガン難民」の記事における「ソ連軍のアフガニスタン侵攻」の解説
最初にアフガン難民が問題になったのは、1979年12月のソ連軍によるアフガニスタン侵攻の頃である。最初に60万人の難民が発生し、1990年までにパキスタンに330万人、イランに300万人が避難した。欧米各国はパキスタンのアフガン難民支援のために1979年から約20年間で10億ドル以上の資金を提供し、パキスタンにはシャムシャトゥ・キャンプやジャロザイ・キャンプのような難民キャンプが沢山作られた。難民キャンプは対ソ連イスラム抵抗組織「ムジャーヒディーン」の拠点としても機能し、キャンプ内に設けられたイスラム教の学校マドラサは多くのターリバーンを輩出した。一方、イランにもトルバテジャム難民キャンプやニアタック難民キャンプのような難民キャンプが出来たが、1979年のイラン革命の影響で欧米からの資金援助は1.5億ドルに留まった。1980年からはイラン・イラク戦争が始まったが、難民の受け入れは続けた。
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