オリンピックのソビエト連邦選手団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 03:43 UTC 版)
オリンピックのソビエト連邦選手団は、近代オリンピックにソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)が派遣した選手団である。夏季オリンピックは1952年ヘルシンキオリンピックから、冬季オリンピックは1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックから参加した。1984年ロサンゼルスオリンピックには不参加。1991年12月のソビエト連邦崩壊により事実上消滅したため、1988年ソウルオリンピックが最後の参加となった。
- ^ a b 1968年グルノーブルオリンピックではノルウェー、1984年サラエボオリンピックでは東ドイツに次いだ。
- ^ ただし、当時の西側諸国でもドーピングによる失格者は頻出していた。
- ^ 東京では「東洋の魔女」と呼ばれた日本チームと決勝ラウンドの最終戦で全勝対決となり、敗れた。
- ^ これらの3種目はその後も実施され、シンクロとテニスではロシア選手団がメダルを獲得したが、卓球はソ連解体で独立した諸国も全くメダルを獲得していない。
- ^ 残る一人は女子クロスカントリースキー選手のライサ・スメタニナ。
- ^ 名目としてはアメリカによるグレナダ侵攻がボイコットの理由とされた。
- ^ この時点では、ソ連は開催国の大韓民国(韓国)との間に外交関係を持っていなかった。
- ^ 三国はいずれも1918年の独立から1940年のソビエト連邦併合までは独自の選手団を送っていた。詳細はエストニア選手団・ラトビア選手団・リトアニア選手団の各項目を参照。
- ^ うち、メダルを獲得したのは本文中の5選手団で、ロシアは同大会で金メダル獲得数の1位となった。一方、アゼルバイジャン選手団・タジキスタン選手団・トルクメニスタン選手団の3つは1996年夏季の1996年アトランタオリンピックからの参加となった。
- 1 オリンピックのソビエト連邦選手団とは
- 2 オリンピックのソビエト連邦選手団の概要
- 3 メダル獲得数一覧
- 4 外部リンク
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