競技別概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 05:03 UTC 版)
「オリンピックのソビエト連邦選手団」の記事における「競技別概要」の解説
ソビエト連邦選手団が最も多くのメダルを獲得した夏季オリンピック競技は陸上競技の195個であった。また、体操競技で獲得した金72個・銀67個・銅43個・合計182個のメダル数は、ソ連崩壊後の現在でもいずれも最多であり、かつ金メダル数では2位アメリカの31個や3位日本の29個を大きく引き離している。この他、レスリング・重量挙げ・カヌーの3種目でも、2012年のロンドンオリンピック終了時点で依然としてソ連が最多の金メダル獲得国となっている。これらの種目や陸上の投てき系競技ではソ連選手が強かった。また、バスケットボールでは参加した全ての大会で男女ともメダルを獲得し、特にミュンヘンオリンピックの男子決勝戦では試合終了の判定後に復活した時間で逆転する劇的な勝利により、1936年ベルリンオリンピックでの正式採用以来続いていたアメリカの連覇を7で止めた。バレーボールでもソ連は1964年東京オリンピックでの採用から全ての参加大会で男女ともにメダルを獲得し、特に女子はソ連チームが4大会連続で日本(全日本女子チーム)と金メダルか銀メダルを分けた。 一方、ソビエト連邦選手団が参加したオリンピックで実施されながらも同選手団が一つもメダルを獲得できなかった種目は、ソウルオリンピックでのみ開催された卓球・シンクロナイズドスイミング、及びソ連参加前の大会で実施された後にソウルオリンピックで復活したテニスの3種目のみである。また、ホッケーでのメダル獲得はモスクワオリンピックのみである。 冬季大会では当時実施された全種目でソビエト連邦選手団はメダル獲得経験があり、最多の68個を獲得したクロスカントリースキーやバイアスロン、スピードスケートやフィギュアスケートで好成績を残した。更に、当時は男子のみが実施されたアイスホッケーでは9大会中7大会で金メダルを獲得する圧倒的な強さを見せた。金メダルを獲得できなかったのは1960年スコーバレーオリンピックでの銅メダルと1980年レークプラシッドオリンピックでの銀メダルで、いずれも自国開催だったアメリカに金メダルを譲った。特にレークプラシッド大会では4連覇中だったソ連チームが学生中心だったアメリカチームに決勝ラウンドで敗れる大波乱となり、後に「氷上の奇跡」と知られるようになった。ただし、大会の華として注目されるアルペンスキーでは例外的に不振で、コルテチナ・ダンペッツオオリンピックの女子回転でエフゲニヤ・シドロワ (en) が獲得した銅メダルが唯一である。 個人成績では、一人の選手が複数のメダルを獲得する事が比較的容易な体操の選手がメダルの獲得記録を持っている。女子のラリサ・ラチニナが3大会で獲得した合計18個(金9個・銀5個・銅4個)は現在でも女子でオリンピック最多であり、男子を含めても、アメリカの競泳選手マイケル・フェルプスに2012年ロンドンオリンピックで抜かれたものの、現在でも2位となっている。また、男子のニコライ・アンドリアノフは合計15個(金7個・銀5個・銅3個)で3位を維持している他、ソ連選手団の中で10個以上獲得した6選手中5選手が体操選手である。
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