ソ連軍のケルチ再上陸 - 1941年冬
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「クリミアの戦い (1941年-1942年)」の記事における「ソ連軍のケルチ再上陸 - 1941年冬」の解説
モスクワ前面でのドイツ軍の敗退を過大評価したスターリンは、レニングラードからクリミアまでの全戦線にわたっての戦略的攻勢を計画するよう命じた。なかでも、ドイツ軍に攻囲されているセヴァストポリの救出は重要で、トランスコーカサス方面軍(ドミトリー・コズロフ中将)がクリミアでの反攻を行うことになった。 12月26日未明に、ソ連アゾフ分艦隊(セルゲイ・ゴルシコフ少将)の支援の元、第51軍(ヴァシリー・ルボフ中将)の第224師団と第83海軍歩兵旅団はケルチの北5箇所に、第302山岳師団はケルチの南2箇所に上陸した。当日は強い西風と荒れた海で、かつ適切な上陸用舟艇がないので、海に落ちて溺れる者と低体温症になる者が続出した。北部では、合計7箇所に1万人を上陸させる計画だったが、悪天候の為2箇所は中止になり、5箇所に約3000人強が上陸出来ただけだった。南では、ドイツ軍の防衛陣地があり、かろうじて2000人強が上陸できたが、高地をドイツ軍が抑えており、ソ連軍上陸部隊は海浜に釘付けになった。いずれのソ連軍橋頭堡も孤立しており、相互の連絡手段も欠いていて脆弱な状態だった。午後より天候は更に悪化し、27日と28日はソ連軍の揚陸作業もドイツ空軍の反撃もほとんどできなくなった。 スポネックは、第46歩兵師団とルーマニア第8騎兵旅団に、ケルチ周辺のソ連軍橋頭堡の除去を命じ、それぞれの部隊は移動を始めた。27日に、第46師団97連隊は、Zyuk岬のソ連軍橋頭堡を攻撃し、28日には一掃してしまった。同様に、28日に、第46師団72連隊はKhroni岬のソ連軍橋頭堡を攻撃して掃討してしまった。 12月28日夜から天候は回復しはじめ、黒海艦隊の支援のもと、ソ連第44軍(アレクセイ・ペルブーシン少将)は、29日未明フェオドシア港に直接上陸した。ケルチ周辺のソ連軍橋頭堡を掃討するため、フェオドシアにいた枢軸軍戦闘部隊は移動してしまっていて、フェオドシアには、2個砲兵大隊以外は建設大隊などの後方部隊しかおらず、その防衛は弱体だった。フェオドシア港には、外海から港内への侵入を防ぐ為に、筏の係留がされていたが、筏の係留は不十分で、ソ連軍艦艇は筏を除去して港内へ侵入し上陸を始めた。約3時間の熾烈な戦闘の後、0730時にはフェオドシア港はソ連軍の手に落ち、ソ連軍輸送船は埠頭で兵員・装備の揚陸を始め、29日の終わりには3個師団の揚陸を終えた。夕刻までに、ソ連第44軍はフェオドシア市街のほぼ全域を占領した。 1000時ごろに、スポネックはフェオドシアでの新展開を知り、ケルチ周辺にいる第46歩兵師団にパルパック地峡への撤退を命じると共に、ケルチに向かって移動中だったルーマニア第8騎兵旅団にはUターンしてフェオドシアのソ連軍を攻撃するよう命じた。しかしマンシュタインは、この命令を却下し、スポネックには第46師団はその場でとどまって戦うよう命じ、増援を直ちに送ることを約束した。その後、起きたのは、XXXXII軍団司令部は第11軍司令部との無線連絡を切り、結果として、この軍司令官命令は守られず、30日、第46師団はパルバック地峡を目指して強行軍で撤退を始めた。同じ30日に行われたルーマニア軍によるフェオドシア攻撃は砲兵と空軍の支援を欠いており、ソ連軍に撃退された。マンシュタインは、31日夜にスポネックを命令不服従のかどで解任し、後任にフランツ・マッテンクロット歩兵大将を充てた。ドイツ第46師団の撤退に伴い、ソ連第51軍は31日にケルチを奪回した。 フェオドシアの西には、有力な枢軸軍戦闘部隊はルーマニア第4山岳旅団しかおらず、戦略的主導権はソ連側に移っていたが、ペルブーシンの第44軍は、西への攻勢をとろうとせずアゾフ海側へ進出して、第51軍の到着を待つことにした。マンシュタインは、セヴァストポリ戦線より、第132歩兵師団、第170歩兵師団、第72師団の2個歩兵大隊、XXX軍団(マキシミリアン・フリッター・ピコ砲兵大将)司令部を引き抜き、ケルチ半島に移すことにした。1月1日には、ドイツ軍は、撤退してきた第46師団、ルーマニア第4山岳旅団、セヴァストポリからの増援部隊の先遣隊で、フェオドシアの西に戦線を形成することに成功した。 1月15日に、ドイツXXX軍団は攻勢に出て、激戦の末に18日に再びフェオドシアを占領し、ソ連第44軍はその戦力の大半を失った。ドイツ軍の攻勢はさらに続き、20日にはソ連軍をパルバック地峡まで押し戻して、戦線は一応の安定をみた。
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