ソ連軍のケルチ再上陸 - 1941年冬とは? わかりやすく解説

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ソ連軍のケルチ再上陸 - 1941年冬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:45 UTC 版)

クリミアの戦い (1941年-1942年)」の記事における「ソ連軍のケルチ再上陸 - 1941年冬」の解説

モスクワ前面でのドイツ軍敗退過大評価したスターリンは、レニングラードからクリミアまでの全戦線わたって戦略的攻勢計画するよう命じたなかでもドイツ軍攻囲されているセヴァストポリ救出は重要で、トランスコーカサス方面軍(ドミトリー・コズロフ中将)がクリミアでの反攻を行うことになった12月26日未明に、ソ連アゾフ分艦隊(セルゲイ・ゴルシコフ少将)の支援の元、第51軍(ヴァシリー・ルボフ中将)の第224師団と第83海軍歩兵旅団ケルチの北5箇所に、第302山岳師団ケルチの南2箇所上陸した当日は強い西風荒れた海で、かつ適切な上陸用舟艇がないので、海に落ちて溺れる者低体温症になる者が続出した北部では、合計7箇所1万人を上陸させる計画だったが、悪天候の為2箇所中止になり、5箇所に約3000人強が上陸出来たけだった。南では、ドイツ軍防衛陣地あり、かろうじて2000人強が上陸できたが、高地ドイツ軍抑えており、ソ連軍上陸部隊海浜釘付けになったいずれのソ連軍橋頭堡孤立しており、相互連絡手段欠いていて脆弱な状態だった。午後より天候は更に悪化し27日28日ソ連軍揚陸作業ドイツ空軍反撃もほとんどできなくなった。 スポネックは、第46歩兵師団ルーマニア第8騎兵旅団に、ケルチ周辺ソ連軍橋頭堡除去命じそれぞれの部隊移動始めた27日に、第46師団97連隊は、Zyuk岬のソ連軍橋頭堡攻撃し28日には一掃してしまった。同様に28日に、第46師団72連隊はKhroni岬のソ連軍橋頭堡攻撃して掃討してしまった。 12月28日夜から天候回復しはじめ、黒海艦隊支援のもと、ソ連44軍(アレクセイ・ペルブーシン少将)は、29日未明フェオドシア港に直接上陸したケルチ周辺ソ連軍橋頭堡掃討するため、フェオドシアにいた枢軸軍戦闘部隊移動してしまっていて、フェオドシアには、2個砲兵大隊以外は建設大隊などの後方部隊しかおらず、その防衛弱体だった。フェオドシア港には、外海から港内への侵入を防ぐ為に、筏の係留がされていたが、筏の係留は不十分で、ソ連軍艦艇は筏を除去して港内侵入し上陸始めた。約3時間の熾烈な戦闘の後、0730時にはフェオドシア港はソ連軍の手落ちソ連軍輸送船埠頭兵員装備揚陸始め29日終わりには3個師団揚陸終えた夕刻までに、ソ連44軍はフェオドシア市街のほぼ全域占領した1000時ごろに、スポネックはフェオドシアでの新展開知りケルチ周辺にいる第46歩兵師団にパルパック地峡への撤退命じと共にケルチ向かって移動中だったルーマニア第8騎兵旅団にはUターンしてフェオドシアのソ連軍攻撃するよう命じた。しかしマンシュタインは、この命令却下し、スポネックには第46師団その場とどまって戦うよう命じ増援直ちに送ることを約束したその後起きたのは、XXXXII軍団司令部第11軍司令部との無線連絡を切り、結果として、この軍司令官命令守られず、30日、第46師団はパルバック地峡目指し強行軍撤退始めた。同じ30日行われたルーマニア軍によるフェオドシア攻撃砲兵空軍支援欠いており、ソ連軍撃退された。マンシュタインは、31日夜にスポネックを命令不服従のかどで解任し、後任にフランツ・マッテンクロット歩兵大将充てた。ドイツ46師団撤退に伴いソ連51軍は31日ケルチ奪回した。 フェオドシアの西には、有力な枢軸軍戦闘部隊ルーマニア第4山岳旅団しかおらず、戦略的主導権ソ連側移っていたが、ペルブーシンの第44軍は、西へ攻勢をとろうとせずアゾフ海側へ進出して、第51軍の到着を待つことにした。マンシュタインは、セヴァストポリ戦線より、第132歩兵師団、第170歩兵師団、第72師団の2個歩兵大隊XXX軍団(マキシミリアン・フリッター・ピコ砲兵大将)司令部引き抜きケルチ半島に移すことにした。1月1日には、ドイツ軍は、撤退してきた第46師団ルーマニア第4山岳旅団セヴァストポリからの増援部隊先遣隊で、フェオドシアの西に戦線形成することに成功した1月15日に、ドイツXXX軍団攻勢出て激戦の末に18日に再びフェオドシアを占領しソ連44軍はその戦力大半失ったドイツ軍の攻勢はさらに続き20日にはソ連軍をパルバック地峡まで押し戻して、戦線は一応の安定をみた。

※この「ソ連軍のケルチ再上陸 - 1941年冬」の解説は、「クリミアの戦い (1941年-1942年)」の解説の一部です。
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