スールトの退却とは? わかりやすく解説

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スールトの退却

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:30 UTC 版)

アルブエラの戦い」の記事における「スールトの退却」の解説

フランス軍の攻撃続いていたが、戦い先行きはまだ分からなかった。スールトには、予備であるヴェルレ師団規模旅団と、まだ交戦していないラトゥール=モブールの騎兵大半残っていた。しかし、ラムレイの騎兵後方待機したままの、元気なコール第4師団存在は、スールトにその強力な騎兵使わせないようにさせているようであったスールトは後にナポレオンへの報告で、その時になって、ブラケがベレスフォード合流し予想より戦力が多い連合軍対峙していることを知った主張している。スールト側面攻撃連合軍の裏かいていた守備的になり始め騎兵突撃許可せず、ヴェルレ予備のままとどめた連合軍のほうでは、ベレスフォード余裕無くなりつつあった。ベレスフォード何としてもホートンアバクロンビー増強するべく、デスパーニャの独立旅団投入しようとしたが、彼らはフランス軍射程内へ移動することを拒否したコール師団残しておくため(ウェリントンベレスフォード実際に逃げ道確保しようとしていたとの見解であったが、ベレスフォードによれば今後フランス軍騎兵攻撃から連合軍側面を守るためとのことであった。)、ベレスフォード代わりにハミルトンポルトガル師団呼んだが、ハミルトンはアルテンを支援しゴディノの攻撃撃退するためアルブエラのほうへ移動しており、命令が届くまでに時間かかったハミルトン旅団命令受けてから1時間半後にようやく移動開始した激し攻撃右翼損害膨らんだため、ベレスフォードは、ついにアルテンのKGL隊を呼びスペイン兵3,000にアルブエラへ行き守備交代するよう命令した。アルテンは急ぎ再編制し南の連合軍右翼へ向け移動したが、スペイン兵が到着する前にゴディノがアルブエラを奪取し連合軍のもう一方側面フランス軍晒されることとなった。 この重大な瞬間戦い決定づける機動コール将軍によって行われたコールベレスフォード明確な命令従い何もせず待機していたが、フランス軍左翼向けて前進することを考えていた。とは言え3,500騎のフランス軍騎兵正面平地歩兵前進することには慎重であった。しかしポルトガル軍主計総監英語版所属ヘンリー・ハーディング大佐駆けつけ直ち前進するよう催促すると、前進決心した。ラムレイと簡単に打ち合わせた後、コール自分の師団を縦隊から横隊転換ラトゥール=モブールの騎兵用心して横隊両端縦隊右側にジェームズ・ケミス(James Kemmis)准将旅団を含む軽歩兵中隊集団左側ルシタニア軍団第1大隊配置した。ラムレイは連合軍騎兵全て後方右側配置し騎馬砲兵伴った歩兵約5,000の大集団第5軍団左翼向けて前進した連合軍横隊接近スールト行動拘束したコール師団食い止めなければ敗北は明らかであり、ラトゥール=モブールの竜騎兵のうち4個連隊コール横隊ポルトガル兵へ突撃させ、ヴェルレ予備全て投入し第5軍団側面守った竜騎兵ハーベイポルトガル旅団襲いかかり、コルボーンの旅団同様に壊滅させようとした。しかし未熟なポルトガル兵は方陣を組まずに踏み止まり騎兵撃退したラトゥール=モブールの竜騎兵一度押し返されると、コール師団更なる攻撃行わず連合軍横隊前進続けた師団の左にいたフュージリアー旅団ルシタニア軍団が、すぐに、2倍の兵がいるヴェルレ旅団戦闘入った兵数優るにもかかわらずヴェルレは9個大隊を3個連隊縦隊にしていたため、連合軍同じだけのマスケット銃を撃つことができなかった。第23ロイヤル・ウェルシュ・フュージリアー連隊英語版)と第7フュージリアー連隊の2個大隊それぞれ縦隊になり、 3ヶ所で連隊規模射撃戦が起こった射撃戦中フランス軍もう一度横隊になろうとしたが、連合軍集中射撃により防がれた。20-30分の厳し戦いの後フランス軍崩壊し敗走したフュージリアーは主に砲撃により半数上の兵を失い一方ヴェルレ旅団損害1,800であった一方アバクロンビー旅団旋回し包囲している第5軍団右翼突撃した。ジラールとガザンの兵は後方敗走しヴェルレ旅団敗残兵合流した連合軍第4師団と、第2師団一部退却するフランス軍追いかけたので、ベレスフォードは「止まれ止まれ57連隊深追いするな!」と叫んだ。しかしこの警告不要だった。ラトゥール=モブールの騎兵速やかに追撃する連合軍師団敗走するフランス軍歩兵の間に入り、イギリス・ポルトガル軍の追撃食い止め形勢挽回したスールト退却支援するため、最後予備強力な擲弾兵2個大隊-を前進させ、連合軍砲撃大損害を追いながらも、擲弾兵騎兵戦線守った若干遅れてベレスフォードポルトガル軍3個旅団投入し擲弾兵後退させたが、このときにはスールト連合軍横隊砲撃集中させていたため、ベレスフォード追加部隊投入を行わなかった。 なお、アルテンのKGL隊は南の戦闘に間に合わず、アルブエラへ戻りにいたフランス軍撃退した激し衝突から6、7時間後、戦い終わった

※この「スールトの退却」の解説は、「アルブエラの戦い」の解説の一部です。
「スールトの退却」を含む「アルブエラの戦い」の記事については、「アルブエラの戦い」の概要を参照ください。

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