ジョン・クックの謀殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 01:46 UTC 版)
「ウィリアム・パーマー」の記事における「ジョン・クックの謀殺」の解説
ジョン・パーソンズ・クック(John Parsons Cook)は、12,000ポンドの財産を相続した病弱な青年で、パーマーの友人であった。1855年11月に、2人組はシュルーズベリーハンディキャップ・ステークスに参加し、11月13日と15日の間にさまざまなウマに賭けた。クックは「ポールスター」("Polestar")に賭けて3,000ポンドを勝ち取った。パーマーは代わりに「チキン」("the Chicken")に賭けて大敗けした。クックとパーマーは地元の飲酒施設レーブン(Raven)で祝賀パーティーを開いた。すでに11月14日に、クックは、ジンが喉をやけどさせた、と不平をこぼしていた。パーマーは応えて大騒ぎした。そのとき彼は、困惑している見物人らに、クックのグラスに不適当なものは何もないことを納得させようとした。その後、クックはひどく病気になり、友人2人ジョージ・ヘリング(George Herring)およびイシュマエル・フィッシャー(Ishmael Fisher)に、「くそいまいましいパーマーがおれに薬をもっていると思ってる」("I believe that damn Palmer has been dosing me")と語った。11月15日に、パーマーとクックはルージリーに戻り、その時点でクックはタルボット・アームズ(Talbot Arms)に1部屋予約した。[要出典] 11月14日早くに、パーマーはプラット(Pratt)と称する債権者から手紙を1通受け取っていた。彼は、もしパーマー自身がすぐに全部支払おうとしないならば、母親を訪ね金銭を要求するぞと脅していた。翌日、彼は或るウマに大きく賭け、負けた。 クックは一見病気から回復したように見え、11月17日にパーマーに会い一飲みして、すぐに再び病気になった。この時点で、パーマーはクックの責任を引き受けた。クックの事務弁護士ジェレミア・スミス(Jeremiah Smith)は、ジンを1びん送った。パーマーはそれを送る前にそれを持っていた。女中エリザベス・ミルズ(Elizabeth Mills)はジンを一口飲んだ後、病気になった。クックは残りのジンを与えられ、彼の嘔吐はかつてないほど悪化した。翌日に、パーマーはクックのかわりに賭け金を集め始め、1,200ポンドを持ち帰った。その後、彼はドクタ・ソルトの診療所からストリキニーネを3粒購入し、グレーンを2つの錠剤に入れ、それからそれをクックに投与した。11月21日、パーマーがアンモニアを2錠投与して間もない午前1時ころに、クックは、息がつまると叫びながら、もだえ死にした。 11月23日に、クックの継父ウィリアム・スティーブンス(William Stevens)が家族を代表するために到着した。パーマーは、故人が賭け金帳を失っていたことを彼に知らせた。彼はさらに、ひとたび賭博者が死亡していればすべての賭けが取り消されるために、これは役に立たない、と主張した。彼はまたスティーブンスに、クックが未払いの請求書で4,000ポンドを持っていた、と話した。スティーブンスは死因審問を要求したし、それは認められた。一方、パーマーは80歳のドクタ・バンフォードから死亡診断書を取得したし、それは死因を「脳卒中」('apoplexy')と記載した。 クックの遺体の検死は11月26日にタルボット・アームズ(Talbot Arms)で行われ、医学生のチャールズ・デボンシャー(Charles Devonshire)と助手チャールズ・ニュートン(Charles Newton)によって行われ、ドクタ・ハーランド(Dr Harland)その他の多くの見物人によって監督された。ニュートンは酔っていたし、パーマー自身がニュートンにぶつかり「安全な保管」('safe keeping')のために胃の内容物をジャー1つに入れて取り出して、検査を妨げた。それらジャーは毒物学者アルフレッド・スウェーン・テーラー(Alfred Swaine Taylor)に送られたし、彼はこういう質の悪いサンプルは役に立たないと不平をこぼしたし、11月29日に2回目の検死が行われた。郵便局長サミュエル・チェシャー(Samuel Cheshire)は、パーマーのために検死官宛ての手紙複数を横取りした。チェシャーは後に郵便を妨害したとして訴追され、2年の刑を科された。パーマーはまた、死亡の評決を自然因として与えるよう要求し、手紙に10ポンド紙幣を同封し、検死官自身宛てに手紙を書き送った。 テーラーは毒の証拠を見つけなかったが、しかしそれでも、クックが毒殺されたというのが自分の信念である、と述べた。死因審問の陪審は12月15日に評決を下し、「故人はウィリアム・パーマーによって故意に彼に投与された毒のために死亡した」("Deceased died of poison wilfully administered to him by William Palmer")と述べた。当時、この評決は死因審問で合法的に受け継がれる可能性があった。
※この「ジョン・クックの謀殺」の解説は、「ウィリアム・パーマー」の解説の一部です。
「ジョン・クックの謀殺」を含む「ウィリアム・パーマー」の記事については、「ウィリアム・パーマー」の概要を参照ください。
- ジョン・クックの謀殺のページへのリンク