ジャズの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:19 UTC 版)
黒人たちの音楽では、1890年代にラグタイムが誕生した。これは、ピアノの右手にアフリカ音楽に起因するシンコペーションを多用したメロディ、左手にはマーチに起因する規則的な伴奏を組み合わせたもので、ミンストレル・ショーの歌を母体に発展してきた。1900年前後に活躍していたスコット・ジョプリンという黒人ピアニストが、1899年に「メイプル・リーフ・ラグ」を発表し、1902年には「ジ・エンターテイナー」を発表している。20世紀初めの10年ほどの間は、このラグタイムとブルースが商業的にヒットしていた。 同じく1900年代には、ニューオーリンズの元奴隷の黒人たちが始めたブラスバンドが不思議とスウィングするリズムがあるとして評判になり、白人のバンドに真似されたり、そのままのスタイルでダンスホールに雇われたりするようになる。これがジャズの誕生である。ニューオーリンズの初期のジャズ(ディキシー・ランド・ジャズと言う)で一番目立つのはブラスバンドの行進曲の要素だが、これまでに出てきたブルース(特にブルー・ノートと言われる音階)、ラグタイム、黒人霊歌の要素を含んでいる。また、どのバンドにもクラシック音楽の素養を身につけたクレオール(白人と黒人の混血の人)がいて、楽譜も読めない元奴隷たちにできるだけの指導を行っていた。ディキシー・ランド・ジャズはトランペット・クラリネット・トロンボーン・ピアノ・ベース(もとはチューバ)・ドラム・ギター(もとはバンジョー)が標準的な編成で、決まったコード進行が繰り返される中、管楽器たちが即興演奏を行い、その時にはシンコペーションやスイングでリズムを豊かにするような工夫が行われる。ジャズも様々なスタイルがあるが、この即興とスイングの要素はどのジャズにも見られる。 ラグタイムやジャズは、黒人の音楽ではあるがヨーロッパ音楽の要素も多く含んでおり、メイン・ストリーム側とすぐに接触が生じ、ティン・パン・アレーからラグタイムやジャズの曲が売り出されて人気を得たり、逆にティン・パン・アレーの曲をジャズ・ミュージシャンが演奏したりということが盛んに見られるようになった。ジャズは本質的には「演奏テクニック」であり、どんな曲でも演奏できる代わりに必ず何か「元ネタ」を必要とする。ティン・パン・アレーの曲は「元ネタ」としてよく使われた。この後1940年代まで、ジャズは時代の主役となっていく。 ラグタイムやジャズは当時のアメリカ人たちの間では芸術的な価値は認められておらず、「黒人たちのやっているわけのわからない音楽」と思われていたようである。しかし、その価値はむしろヨーロッパのクラシック系の作曲家に認められた。ドビュッシーやミヨーは明らかにラグタイムやジャズの影響を受けた作品を残している。 1910年~20年にかけて産業構造が農業から工業に転換するにつれてアメリカでは南部から北部への人口の大移動が起こり、それに合わせるように多くのジャズメンがニューオーリンズからシカゴに移動する。シカゴでは天才トランペット奏者のルイ・アームストロングが全てのジャズ奏者と編曲者に甚大な影響を与え、ジャズの時代を築く。1920年頃にはドラムセットにハイハットが加わり、現在とほぼ同様のリズムパターンが出せるようになった。
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