ジャズの起こり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:09 UTC 版)
「ジャズ」も参照 20世紀初めの10年ほど、黒人音楽の二つのスタイルであるラグタイムとブルースが商業的にヒットしていた。ラグタイムはシンコペーションを大量に含む音楽であり、ミンストレル・ショーの歌を母体に発展してきた。1900年前後に活躍していたスコット・ジョプリンという黒人ピアニストが、1899年に「メイプル・リーフ・ラグ」を発表し、1902年には「ジ・エンターテイナー」を発表している。彼はラグタイムの王様と呼ばれるようになり、このラグタイムが一世を風靡した。アービング・バーリン(Irving Berlin)のアレキサンダーズ・ラグタイムバンドという曲は(1911)ラグタイムではないが、ラグタイムを有名にしたといわれている。 19世紀末にアメリカで一番有名だった音楽家は、「行進曲王」の名で世界に知られたジョン・フィリップ・スーザだった。アメリカの吹奏楽は南北戦争の頃に盛んになり、19世紀後半には博覧会場や公園などで演奏する商業バンドが発達した。世界的に見ても19世紀末は吹奏楽熱が最高潮に達した時期である。スーザはそうした中から現れて人気を博した。アメリカの吹奏楽はアマチュアにまで流行を見せ、20世紀初頭にはダンス・バンドも大流行している。 1900年代には、ニューオーリンズの元奴隷の黒人たちが始めたブラスバンドが不思議とスウィングするリズムがあるとして評判になり、白人のバンドに真似されたり、そのままのスタイルでダンスホールに雇われたりするようになった。これがジャズの誕生である。ブルースとラグタイムの要素を含んでいるというのが良く言われるところである。 1910年代から1920年代にかけて、産業構造の変化により南部から北部への人口移動が起こり、ジャズメンの多くはシカゴに移住した。こうした中から天才トランペット奏者のルイ・アームストロングが台頭し、全てのジャズプレイヤーとアレンジャーに絶大な影響を与えた。この期間をジャズ・エイジと呼んでいる。 ジャズはやがて白人に真似られるようになり、白人だけの楽団なども出てきたが、これはスウィング・ミュージックと別な名称で呼ばれた。ビッグバンドスタイルが確立され、ティン・パン・アレーもジャズの取り込みにかかり、多くのレコードが人気を集め、ジャズとスウィング・ミュージックは第二次世界大戦前のメインのジャンルのひとつとなった。
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