ジャズ奏者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 07:06 UTC 版)
1965年 富樫や武田和命らと活動。日本で初めてフリー・ジャズを演奏したグループと言われる。 1966年 山下洋輔トリオ結成。この当時のメンバーは山下 (p)、紙上理 (b)、本庄重紀 (ds)。後に中村誠一 (ts)、森山威男 (ds)、坂田明 (as)、国仲勝男 (b) ら。 この間トリオは国内のライブのみならず、ヨーロッパ各地への演奏ツアーを行う。主にドイツ語圏(と旧東欧圏)で高い評価を受ける。 またツアー旅行記、エッセイをユーモアあふれるバンドマンの言動とともに『ライトミュージック』、『小説現代』、『宝島』各誌に発表し始め、エッセイストとしても高い評価を受ける。 1969年 封鎖されていた早稲田大学4号館バリケード内で演奏。東京12chの番組『ドキュメンタリー青春』(演出:田原総一朗)で放映される。山下の著作『風雲ジャズ帖』所収のエッセイ「真相『今も時だ』」に詳細あり。田原によると、山下が文学的表現として「ピアノを弾きながら死ねればいい」と言ったため、田原はそれを馬鹿正直に受け取り、バリケード封鎖されていた大隈講堂からピアノを持ち出して山下に弾かせることを考えた。中核派から分裂した組織「反戦連合」のメンバーたちが運び出し、そのピアノを山下が演奏した。後の作家高橋三千綱や、あさま山荘事件で殺された山崎順もピアノを運んだという。このイベントは、立松和平のデビュー作「今も時だ」という短編小説も産み出している。 1972年 公演先の福岡でタモリと遭遇。1975年にタモリが芸能界デビューするきっかけとなる。 1973年 粟津潔の作品『ピアノ炎上』にて、主演・演奏を行う。 1983年 山下洋輔トリオを解散。この時のメンバーは小山彰太 (ds)、武田和命 (ts)、林栄一 (as)。 1984年 『シング・シング・シング』や『イン・ザ・ムード』といったスイング・ジャズの曲をフリー・ジャズで演奏するという趣旨のビッグ・バンド、「山下洋輔PANJAスイング・オーケストラ」を村上ポンタ秀一らと結成。以降、断続的に活動。 1988年 セシル・マクビー (b)、フェローン・アクラフ (ds) と共に山下洋輔ニューヨークトリオを結成。 1995年 『室内楽団 八向山』を結成。メンバーは八尋知洋 (per)、向井滋春 (tb)、山下 (p)。 1998年 映画『カンゾー先生』の作曲を担当。同作曲は「毎日映画コンクール・音楽賞」、「日本アカデミー賞・優秀音楽賞」、「芸術選奨文部大臣賞(大衆芸能部門)」を受賞する。 2003年 紫綬褒章受章。 2005年 織部賞を受賞。 2008年 金沢21世紀美術館主催の「荒野のグラフィズム:粟津潔展」にて『ピアノ炎上2008』を開催。 祖父・啓次郎設計の奈良少年刑務所創立100周年記念矯正展でコンサート。 2009年 結成40周年を記念して「山下洋輔トリオ復活祭」を開催。 2012年 旭日小綬章受章。
※この「ジャズ奏者」の解説は、「山下洋輔」の解説の一部です。
「ジャズ奏者」を含む「山下洋輔」の記事については、「山下洋輔」の概要を参照ください。
- ジャズ奏者のページへのリンク