シュルツ作品の波紋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 15:18 UTC 版)
「ブルーノ・シュルツ」の記事における「シュルツ作品の波紋」の解説
シュルツの作品は一部の層に強い支持を得ており、特にユダヤ系の作家のなかにファンが多い。アイザック・バシェヴィス・シンガーやフィリップ・ロスは自他共に認めるシュルツ作品の愛読者である(「ニューヨーク・タイムズ」(1977年2月13日)で両者はシュルツを巡って対談しており、その中でシンガーはシュルツを「時としてプルーストやカフカにも達せなかった深みに到達している」と評している。ロスは中欧の作家による作品集を編む際『砂時計サナトリウム』をこの中に加えている)。 同じく合衆国のユダヤ系作家シンシア・オジックは小説『ストックホルムの救世主』(1987年)で、シュルツの行方不明の遺稿『救世主』を巡る書評家の物語を書いている。サラエヴォ出身で合衆国で活躍する作家アレクサンダル・ヘモンは、小説『ノー・ホエア・マン』(2002年)のエピグラフにシュルツの「天才的な時代」の一節を掲げている。 アメリカの東欧ユダヤ系3世の作家であり、書物の視覚的要素や物質的要素を最大限に利用する作家としても知られるジョナサン・サフラン・フォアは、シュルツの英語版短編集『Street of Crocodiles』(『大鰐通り』)の印刷された文字をダイカットで切り抜きし、残された文字をつなげて読むかたちで新たな物語を作り出した(Tree of Codes『暗号の森』2010年)。ブルーノ・シュルツの作品の二次利用の特異な例である。 小説家以外でも、ポーランドの前衛演劇家タデウシュ・カントルは、シュルツの作品からの影響を公言している(カントルの戯曲『死の教室』(1975年)は、シュルツの短編「年金暮らし」を基に書かれている。ちなみに1976年にアンジェイ・ワイダはドキュメンタリー映画『タデウシュ・カントルの劇「死の教室」』を撮っている)。 映像化の試みとして、ポーランドの映画監督ヴォイチェフ・イェジー・ハスの映画『砂時計サナトリウム』(1973年)や、イギリスで活躍するブラザーズ・クエイの人形アニメ『ストリート・オブ・クロコダイル』(1986年)などが挙げられる。 漫画化の試みとして、西岡兄妹(加藤有子編『ブルーノ・シュルツの世界』成文社、2013に一部収録)、ドイツの漫画家ディーター・ユットのデビュー作『ブルーノ・シュルツ短篇集、憑き物その他』(1995年)などが挙げられる。 音楽の分野では、クラクフで活躍するクラクフ・クレズマー・バンドのアルバム『砂時計サナトリウム』が、フリー・ジャズの鬼才ジョン・ゾーンのプロデュースのもと、ツァディクから2005年にリリースされている。 文筆業だけでなくシュルツの画業も現在、一定の評価を得てきている。キューバ出身の合衆国の作家ローランド・ペレスは、シュルツの画業をテーマに小説『ザ・ディヴァイン・デューティー・オヴ・サーヴァンツ』(1999年)を書いている。 2013年以降、舞踊家の勅使川原三郎が、ブルーノ・シュルツの短編にインスピレーションを受けた作品を次々と発表している(「マネキン人形論」「シナモン」「青い目の男」「空時計サナトリウム」「ドドと気違いたち」「春、一夜にして」)。
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