ゴーギャン到着までとは? わかりやすく解説

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ゴーギャン到着まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 00:20 UTC 版)

フィンセント・ファン・ゴッホ」の記事における「ゴーギャン到着まで」の解説

ファン・ゴッホは、1888年2月20日テオアパルトマン去って南フランスアルル到着しオテル=レストラン・カレルに宿をとった。ファン・ゴッホは、この地から、テオ画家協同組合提案したエドガー・ドガモネルノワールアルフレッド・シスレーピサロという5人の「グラン・ブールヴァール」の画家と、テオやテルステーフなどの画商、そしてアルマン・ギヨマンスーラゴーギャンといった「プティ・ブールヴァール」の画家協力し、絵の代金分配し合って相互扶助を図るというものであったファン・ゴッホは、ベルナールの手紙の中で、「この地方大気透明さ明るい色の効果のため日本みたいに美しい。美しエメラルド豊かな青の色の広がり生み出し、まるで日本版画に見る風景のようだ。」と書いている。3月中旬には、アルルの街の南の運河にかかるラングロワ橋描き(『アルルの跳ね橋』)、3月下旬から4月にかけてはアンズモモリンゴプラムと、花の季節移ろい合わせて果樹園次々描いたまた、3月初めにアルルにいたデンマーク画家クリスチャン・ムーリエ=ペーターセン(英語版)と知り合って一緒に絵を描くなどし、4月以降2人アメリカ画家ドッジ・マックナイト(英語版)やベルギー画家ウジェーヌ・ボックとも親交持った同年1888年5月からは、宿から高い支払要求されたことを機にラマルティーヌ広場面した黄色外壁2階建ての建物(「黄色い家」)の東半分小部屋付き2つ部屋借り画室として使い始めた(ベッドなどの家具がなかったため、9月までは3軒隣の「カフェ・ドゥ・ラ・ガール」の一室寝泊まりしていた)。ポン=タヴァンにいるゴーギャン経済的苦境にあることを知ると、2人でこの家で自炊生活をすればテオからの送金やり繰りできるという提案を、テオゴーギャン宛に書き送っている。5月30日頃、地中海面したサント=マリー=ド=ラ=メール海岸旅して、海の変幻極まりない色に感動し砂浜漁船などを描いた6月アルルに戻ると、炎天下ミストラル北風)と戦いながら、毎日のように外に出てクロー平野麦畑や、修道院廃墟があるモンマジュールの丘、黄色い家の南に広がるラマルティーヌ広場素描し、雨の日にはズアーブ兵アルジェリア植民地兵)をモデルにした絵を描いた6月初めにムーリエ=ペーターセンが帰国してしまい、寂しさ味わったファン・ゴッホは、ポン=タヴァンにいるゴーギャンベルナールとの間でさかんに手紙やり取りをした。 7月アルル少女モデル描いた肖像画に、ピエール・ロティの『お菊さん』を読んで知った日本語使ってラ・ムスメ』という題を付けた同月郵便ジョゼフ・ルーラン肖像描いた8月、彼はベルナール画室6点ひまわりの絵で飾る構想伝え、『ひまわり』を4作続けて制作した9月初旬寝泊まりしていたカフェ・ドゥ・ラ・ガールを描いた夜のカフェ』を、3晩の徹夜制作した。この店は酔客集まって夜を明かす居酒屋であり、ファン・ゴッホ手紙の中で「『夜のカフェ』の絵で、僕はカフェとは人がとかく身を持ち崩し狂った人となり罪を犯すようになりやすい所だということ表現しよう努めた。」と書いている。 一方ポン=タヴァンにいるゴーギャンからは、ファン・ゴッホ対し同年1888年7月24日の手紙で、アルル行きたいという希望伝えられた。ファン・ゴッホは、ゴーギャンとの共同生活準備をするため、9月8日テオから送られてきた金で、ベッドなどの家具を買い揃え9月中旬から「黄色い家」に寝泊まりするようになった。同じ9月中旬に『夜のカフェテラス』を描き上げた9月下旬、『黄色い家』を描いたゴーギャン到着する前に自信作揃えておかなければという焦りから、テオ費用送金を度々催促しつつ、次々制作重ねた過労憔悴しながら10月中旬黄色い家自分の部屋描いた(『アルル寝室』)。 『アルルの跳ね橋1888年3月アルル油彩キャンバス54 × 65 cmクレラー・ミュラー美術館F 397, JH 1368。 『収穫スペイン語版)』(麦秋クローの野)1888年6月アルル油彩キャンバス、73.4 × 91.8 cmゴッホ美術館F 412, JH 1440。 『日没種まく人1888年6月アルル油彩キャンバス64 × 80.5 cmクレラー・ミュラー美術館F 422, JH 1470。ミレー構図に基づく。 『ひまわり1888年8月アルル油彩キャンバス、92.0 × 73.0 cmノイエ・ピナコテークミュンヘン)F 456, JH 1561。 『夜のカフェ1888年9月アルル油彩キャンバス70 × 89 cmイェール大学美術館(米コネチカット州ニューヘイブン)F 463, JH 1575。 『夜のカフェテラス1888年9月アルル油彩キャンバス81 × 65.5 cmクレラー・ミュラー美術館F 467, JH 1580。 『ローヌ川の星月夜英語版)』1888年9月アルル油彩キャンバス73 × 92 cmオルセー美術館F 474, JH 1592。 『黄色い家1888年9月アルル油彩キャンバス72 × 91.5 cmゴッホ美術館F 464, JH 1589。 『アルル寝室1888年10月アルル油彩キャンバス、72.4 × 91.3 cmゴッホ美術館F 482, JH 1608。

※この「ゴーギャン到着まで」の解説は、「フィンセント・ファン・ゴッホ」の解説の一部です。
「ゴーギャン到着まで」を含む「フィンセント・ファン・ゴッホ」の記事については、「フィンセント・ファン・ゴッホ」の概要を参照ください。

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