ゴーギャンとの共同生活とは? わかりやすく解説

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ゴーギャンとの共同生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 00:20 UTC 版)

フィンセント・ファン・ゴッホ」の記事における「ゴーギャンとの共同生活」の解説

同年1888年10月23日ゴーギャンアルル到着し共同生活始まった2人は、街の南東のはずれにあるアリスカン散歩道描いたり、11月4日、モンマジュール付近まで散歩して真っ赤なぶどう畑見たりした。2人それぞれぶどうの収穫を絵にした(ファン・ゴッホの『赤い葡萄畑』)。また、同じ11月初旬2人黄色い家画室で「カフェ・ドゥ・ラ・ガール」の経営者ジョゼフ・ジヌーの妻マリーモデルに絵を描いたファン・ゴッホの『アルルの女』)。ゴーギャンファン・ゴッホに、全くの想像制作をするよう勧めファン・ゴッホ思い出によりエッテン牧師館の庭を母と妹ヴィル歩いている絵などを描いた。しかし、ファン・ゴッホは、想像描いた絵は自分には満足できるものではなかったことをテオ伝えている。11月下旬ファン・ゴッホ2点の『種まく人』を描いたまた、11月から12月にかけて、郵便ジョゼフ・ルーランやその家族モデル多く肖像画描き、この仕事を「自分本領だと感じる」とテオ書いている。 一方で次第2人の関係は緊張するようになった11月下旬ゴーギャンベルナール対しヴァンサン(フィンセント)と私は概して意見が合うことがほとんどない、ことに絵ではそうだ。……彼は私の絵がとても好きなのだが、私が描いていると、いつも、ここも、あそこも、と間違い見つけ出す。……色彩見地から言うと、彼はモンティセリの絵のような厚塗りめくらめっぽうよしとするが、私の方はこねくり回す手法我慢ならないなどなど。」と不満を述べている。そして、12月中旬には、ゴーギャンテオに「いろいろ考えた挙句、私はパリに戻らざるを得ないヴァンサンと私は性分不一致のため、寄り添って平穏に暮らしていくことは絶対できない。彼も私も制作のための平穏が必要です。」と書き送りファン・ゴッホテオに「ゴーギャンはこのアルル仕事場黄色の家に、とりわけこの僕に嫌気がさしたのだと思う。」と書いている。12月中旬16日ないし17日)、2人汽車アルルから西へ70 kmモンペリエ行きファーブル美術館訪れたファン・ゴッホは特にドラクロワ作品惹かれ帰ってから2人ドラクロワレンブラントについて熱い議論交わしたモンペリエから帰った直後12月20日頃、ゴーギャンパリ行きとりやめたことをテオ伝えた同年12月23日ファン・ゴッホが自らの左耳を切り落とす事件発生した12月30日地元紙は、次のように報じている。 先週日曜日、夜の11時半オランダ出身のヴァンサン・ヴォーゴーグと称する画家娼館1号現れ、ラシェルという女を呼んで、「この品を大事に取っておいてくれ」と言って自分の耳を渡した。そして姿を消した。この行為――哀れな精神異常者行為でしかあり得ない――の通報受けた警察翌朝この人物の家に行き、ほとんど生きている気配もなくベッド横たわっている彼を発見した。この不幸な男は直ち病院収容された。 — 『ル・フォロム・レピュブリカン』1888年12月30日 ファン・ゴッホ自身はこの事件について何も語っていない。パリ戻ったゴーギャン会ったベルナールは、彼から伝え聞いた話として、1889年1月1日消印友人オーリエ宛の手紙で次のように書いている。 「アルルを去る前の晩、私の後をヴァンサン追いかけてきた。私は振り向いた。時々彼が変な振舞いをするので警戒したのだ。すると彼は言った。『あなたは無口になった。僕も静かにするよ。』。私はホテルへ寝に行き帰宅した時、家の前にアルル中の人押しかけていた。その時警官たちが私を逮捕した家の中血まみれになっていたからだ。事の次第はこうだ――私が立ち去った後、彼は家に戻り剃刀で耳を切り落とした。それから大きなベレー帽かぶって娼家行き遊女一人に耳を渡して言った。『真心から君に言うが、君は僕を忘れないでくれるね。』」 一方、その10年あまり後、晩年ゴーギャン書いた自伝前後録』の中では、ファン・ゴッホゴーギャン背後から剃刀を手に突進してきた話が付け加えられているが、その信憑性には疑問もある。翌日12月24日ゴーギャン電報テオアルル呼び寄せた。 『赤い葡萄畑1888年11月アルル油彩キャンバス73 × 91 cmプーシキン美術館F 495, JH 1626。 ゴーギャン『ぶどうの収穫――人間悲哀1888年11月ファン・ゴッホの『赤い葡萄畑』と同時期の作品。 『アルルの女 (ジヌー夫人)1888年11月アルル油彩キャンバス、92.5 × 73.5 cmオルセー美術館F 489, JH 1625。

※この「ゴーギャンとの共同生活」の解説は、「フィンセント・ファン・ゴッホ」の解説の一部です。
「ゴーギャンとの共同生活」を含む「フィンセント・ファン・ゴッホ」の記事については、「フィンセント・ファン・ゴッホ」の概要を参照ください。

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