グレアム・グリーン事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:37 UTC 版)
「シャーリー・テンプル」の記事における「グレアム・グリーン事件」の解説
1930年代のヨーロッパでは、シャーリー・テンプルについて大衆向きのタブロイド紙が様々な珍妙な記事を書きたてた。イギリスでは、実は30歳で7歳の子供がいると書く。つるっぱげでカツラをかぶっているという記事がフランスのタブロイド紙に載った。あるいはまた、母親がすごいステージ・ママだったせいでノイローゼになっていると記したものもある。当然、今となってはそういう内容を真に受け取る人はいない。 1937年にイギリスの高名な作家グレアム・グリーンは編集する雑誌『ナイト・アンド・デイ』に、家族向けの映画『テンプルの軍使』を見た中年男性の観客が9歳のシャーリー・テンプルに欲情をそそられるという趣旨の批評を書く。結果、イギリス世論の怒りを買い20世紀フォックスから告訴され、敗訴して雑誌は廃刊。(ただし廃刊は敗訴三か月前のことで、原因は資金繰りの失敗であって実は裁判とは関連が薄いという)。これをきっかけに彼は映画評論の仕事を絞り、以後は小説に集中していく。 『テンプルの軍使』は主に子供を対象にした健全な「家族向け」の作品であり、またシャーリー・テンプルはアメリカでもっとも品の良い少女スターと認められていたことから、グリーンの批評は非常に奇異なものとして受けとめられた。1930年代の欧米では一般にタブロイド紙の「子役のシャーリー・テンプルは実は30歳で7歳の子持ち」という記事を彼がうのみにして、勇み足をしたものと理解された。 その後1990年、晩年にグリーンのロリータ・コンプレックスが明かされると様相が一変する。伝記作家マイクル・シェリダンによれば、趣味を疑わせるものはすでにいくつかあったという。家族向け映画『テンプルの燈台守』に登場する、肌に張り付くズボンをはく8歳のシャーリー・テンプルはセクシーだと書き、『オズの魔法使』のジュディ・ガーランドの足は「心地よい」とも記した。小説『権力と栄光』に官能的な7歳の少女を登場させ、またウラジミール・ナボコフの『ロリータ』の擁護者としても知られている。死の少し前、高名な歴史家レイモンド・カーがエッセイ新聞『スペクテーター』に載せた記事からグリーンがハイチに出かけては児童買春をしていたと暴かれて少女愛疑惑は決定的になる。あるいはまた小説家フランシス・キングの、リゾート地ブライトンで幼い少女を求めていたとする証言もあった。グリーンは訴えられた後、イギリスと犯罪者引渡し条約がないメキシコに逃亡している。民事訴訟に対する反応にしては過剰ともいえ、少女買春が発覚して刑事事件に発展することを恐れたと考えれば納得がいく。 現在この『テンプルの軍使』や『テンプルの燈台守』への批評は、著者のロリコン趣味を表したものだと考えられ、シェリダンはグリーンのこれらの批評について童女の「臀部」に思いをめぐらせた「奇妙きてれつさ」を示している。ただしグリーンの指摘が一般的に正しかったかどうかと、本人がどういう人間だったかとは全く別の問題という反論も可能である。詳しくは人身攻撃の項を参照。
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