キャッスル・クリントン
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キャッスル・クリントン (Castle Clinton) またはフォート・クリントン (Fort Clinton) は、ニューヨーク市マンハッタン島の南端にあるバッテリー・パークに位置している砂岩の要塞である。1808年、フォート・アムステルダムに代わる防衛拠点として建設された。
- 1 キャッスル・クリントンとは
- 2 キャッスル・クリントンの概要
キャッスル・ガーデン
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「バッテリー・パーク」の記事における「キャッスル・ガーデン」の解説
公園内には、米英戦争の直前、海岸から離れた小さな島に建てられたアメリカの砦であり、市長・デウィット・クリントンに因んで名付けられたクリントン城がある。バッテリー・パークが建設されたとき、その土地に島は取り囲まれ、公園の一部となった。 アメリカ合衆国国立公園局のデータによれば、クリントン城は最も人気の国立公園となっている。自由の女神像とエリス島へのフェリーが出発する場所でもあるクリントン城は、2009年に408万人の観光客を記録した。 砦は戦争後、市の名物となり、キャッスル・ガーデンに改名された。砦は市によって借りられ、人気のプロムナードとビアガーデンになった。その後、砦はアメリカ合衆国の最初の劇場の1つとなり、国の劇場の中心として、ニューヨーク市の発展に大きく貢献した。 「ニューヨークのクリッパーが荷積みを終えた後、船はイースト川を下り、流行の行楽地、バッテリー・パーク沖に錨をおろすという習慣があった。船は、数時間、乗組員が乗船したり、5トンか10トンの火薬をのせるために停泊していた。クリッパー船が出発するのを見るため、バッテリー・パークに集まった人々は、水夫たちが舟歌を歌うのを聞くのが楽しみだった。これは、モービルやニューオーリンズの黒人荷役が不足したことにより、19世紀初めに始まった。船が成果を上げ、潮だるみの航路の情報を収集するとき、港湾労働者と機関手がホワイトホール・ボートの中へなだれ込む。バッテリー・パークの群衆は、3つに分けた喝采をあげ、旗が沈んで、クリッパー船はホーン岬への航路を進んでいった。」 19世紀、多くのヨーロッパの中流階級の人々が移住するのと同時に、市の上流階級が山の手へと移っていった。移民がバッテリー地区に移住すると、その位置により観客が減り、キャッスル・ガーデンは閉鎖された。その後、建物は、1855年に始まる何百万人もの移民を受け入れ、世界初の移民収容所となった。約40年後、この後継にあたるエリス島がオープンした。この期間の移民の波は、アイルランドのジャガイモ飢饉(アイルランド飢饉とも呼ばれる)や、他のヨーロッパの出来事が原因である。これ以降、取り壊しの危機にあった建物は、1940年代までニューヨーク水族館を収容した。建物は現在、再びもともとの名前によって知られており、アメリカ合衆国国立公園局によって管理されるナショナル・モニュメントである。砦は、リバティ島とエリス島へのフェリーのチケット売り場となっており、ときどき歴史の展示やコンサートが行われる。
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