名前と用途の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 23:28 UTC 版)
「キャッスル・クリントン」の記事における「名前と用途の変遷」の解説
1815年、ウエスト・バッテリーが当時のニューヨーク市長デウィット・クリントンの名前を取って「キャッスル・クリントン」となる。 1821年、アメリカ陸軍はこの要塞の使用をやめ、ニューヨーク市へ貸し出す。1824年7月3日には「キャッスル・ガーデン」という娯楽施設としてオープンする。プロムナード、ビアガーデン、レストラン、展示場、オペラハウス、そして劇場として利用されることとなる。当初は屋根なしで設計された。 19世紀の前半は、移民の多くは現在のサウスストリート・シーポート (en) あたりから上陸していたが、1855年8月1日から1890年4月18日までキャッスル・ガーデンがアメリカ初の移民局として開業した。この業務記録の多くは、1892年1月2日に業務がエリス島に移った先で、1897年6月15日にあった火事で失われている。キャッスル・ガーデンで受け入れた移民の数は800万人以上であり、1200万人以上とも言われる。 1896年から1941年まで、ニューヨーク水族館として使われる。年間の来客数は数十万人。建物の階数と屋根は高く改修されたが元の砦の組積造は残される。 1941年、バッテリー・パークからブルックリンへ橋を建設するという計画が持ち上がり(実際はトンネルとして実現される)、建物は閉鎖される。
※この「名前と用途の変遷」の解説は、「キャッスル・クリントン」の解説の一部です。
「名前と用途の変遷」を含む「キャッスル・クリントン」の記事については、「キャッスル・クリントン」の概要を参照ください。
- 名前と用途の変遷のページへのリンク