カトリック神田教会とは? わかりやすく解説

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カトリック神田教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 17:04 UTC 版)

カトリック神田教会(カトリックかんだきょうかい)は、東京都千代田区にあるカトリック教会カトリック東京大司教区に所属する小教区の教会で、教会堂名は「聖フランシスコ・ザビエル」である。


注釈

  1. ^ 依田鐘之助、大久保権右衛門、柘植三四郎の旧旗本屋敷約3000坪
  2. ^ 「三崎町の大火」 1913年2月20日午前1時20分頃、東京・神田三崎町2丁目(現在の1丁目)にあった救世軍大学植民館寄宿舎付近より出火。鎮火は午前8時30分。焼失戸数2100戸、重軽傷者168人を出した。
  3. ^ ジャン・フェリックス・マリー・シェレル神父 Jean Félix Marie Cherel 1868年7月9日フランスブルターニュ地方グビナンにて誕生。1889年9月パリ外国宣教会に入会し神学校入学。1892年9月23歳で司祭に叙階、直ちに宣教師として日本に派遣された。1894年(明治27年)金沢教会助任司祭就任。千葉県下においてカトリック伝道に従事したのち、名古屋に転任となり名古屋教会主任として1904年(明治37年)主税町教会を設立した。1905年(明治38年)9月、神田教会主任に就任。1913年(大正2年)2月20日火災により同教会焼失。1915年(大正4年)同教会再建。1923年(大正12年)関東大震災により同教会倒壊。1928年(昭和3年)同教会再建。当時30万円を要した。1938年(昭和13年)1月、保土ヶ谷教会に転属し、同年2月20日横浜司教区副司教就任。同年7月保土ヶ谷教会司祭館が竣工した。1939年(昭和14年)6月同教会聖堂竣工。1947年(昭和22年)3月引退し、清瀬町「ベツレヘムの園」に移り、翌年1948年(昭和23年)3月21日死去。府中カトリック墓地に埋葬。

出典

  1. ^ a b c 国指定文化財データベース - カトリック神田教会聖堂
  2. ^ 聖堂の歴史”. カトリック神田教会. 2022年1月28日閲覧。


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