カトリック信仰とヘンリエッタ・マリアの側近
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「ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス」の記事における「カトリック信仰とヘンリエッタ・マリアの側近」の解説
ヘンリエッタ・マリアは非常に熱心なカトリック信者で、このことがイングランド王妃としての立場だけではなく、結婚当初の夫婦生活にも大きな影響を与えている。チャールズ1世はヘンリエッタ・マリアのことをたんに「マリア (Maria)」と呼んでおり、イングランドの大衆も「メアリ王妃 (Queen Mary)」と呼んでいたが、この呼称はチャールズ1世の祖母で同じくカトリック信者だったスコットランド女王メアリ (Mary) とのあてこすりでもあった。 ヘンリエッタ・マリアは自身のカトリック信仰を隠すことはなく「目に余る」「悪びれようともしない」とまでいわれていた。カトリック家庭の長男を強制的にプロテスタントとして育てるべきではないかという世論を妨害し、当時のイングランドの法律では違法だったカトリック式の結婚式を擁護しようとした。また、1626年7月にヘンリエッタ・マリアが、タイバーン刑場で処刑されたカトリック信者のために祈りを捧げたことが激しい論争となっている。1620年代のイングランドではカトリック信者が弾圧されており、このことがカトリック信者のヘンリエッタ・マリアを激怒させたのである。後にヘンリエッタ・マリアはフリードリヒ5世の三男かつゾフィーの兄で、夫の甥にあたるカルヴァン主義者のルパート(後のカンバーランド公)がイングランド滞在している時にカトリックへの改宗を勧めたが、これは失敗に終わっている。 ヘンリエッタ・マリアはフランスから多くの高年俸のカトリック信者の随行員を伴っていた。チャールズ1世は王妃をとりまくこれら側近のために結婚生活がうまくいっていないと不満を漏らしている。また、当時のイングランド王宮ではフランス文化の影響が強く、フランス語がより礼儀正しく上品な言葉として王宮内で用いられてもいた。そしてチャールズ1世は1626年6月26日に、ヘンリエッタ・マリアにフランスから随行してきた人々のイングランド王宮からの追放を求めた。ヘンリエッタ・マリアはこのことに大きく憤慨し、さらに追放令を受けた随行員の中にはメンデス司教のように王宮から出て行くことを拒否したうえに、自分たちのイングランド王宮における立場はフランス王から正式に認められたものだと訴え出る者もいた。最終的にチャールズ1世は、随行員たちを強制的に王宮から排除するために武装した衛兵を使わざるを得なかった。しかしながらチャールズ1世の命令にもかかわらず、ヘンリエッタ・マリアのもとには、個人付聖職者、聴罪司祭ロバート・フィリップら、フランスからの側近が7名残されている。 チャールズ1世によるこの追放令は、ヘンリエッタ・マリアの浪費癖と大いに関係がある。結婚当初のヘンリエッタ・マリアの金使いの荒さは桁外れで、支払に数年かかるような負債を抱えることすらあった。最初にヘンリエッタ・マリアの財政管理を担当していたのはジャン・カイユだったが、1626年にトトネス伯ジョージ・カルー (en:George Carew, 1st Earl of Totnes)、1629年には準男爵リチャード・ウィン (en:Sir Richard Wynn, 2nd Baronet) と担当者が変わっている。しかしながら、金のかかるフランスからの側近の半数近くを遠ざけ、財政管理担当者を一新してもヘンリエッタ・マリアの浪費は止むことがなかった。チャールズ1世から多くの贈り物を受け取っていたにもかかわらず、1627年には秘密裏に借金をしており、イングランド内戦が勃発する直前まで多くの高価な衣服を購入し続けた記録が残っている。 それから数年の間に、ヘンリエッタ・マリアの周りに新たな側近層が形作られた。セント・オールバンズ伯ヘンリー・ジャーミンがヘンリエッタ・マリアの寵臣となり、1628年には副侍従の職に就いた。デンビ伯夫人スーザン・フェイルディング (en:Susan Feilding, Countess of Denbigh) は王妃付女官長 (en:Lady of the Bedchamber) に就任し、個人的にもヘンリエッタ・マリアの親友となっている。また、ヘンリエッタ・マリアは宮廷に、ジェフリー・ハドソン (en:Jeffrey Hudson) やリトル・サラら数名の小人を雇い入れている。1630年までに、ヘンリエッタ・マリアは自身の邸宅としてサマセット・ハウス、プラセンティア宮殿 (en:Palace of Placentia)、オートランズ宮殿 (en:Oatlands Palace)、ノンサッチ宮殿(英語版)、リッチモンド宮殿(英語版)、ホールデンビー・ハウス (en:Holdenby House) を与えられ、さらに1639年にはチャールズ1世がヘンリエッタ・マリアのためにウィンブルドン・ハウスを購入している。これらのほか、ヘンリエッタ・マリアは、珍しい犬、猿、鳥なども買い入れている。
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