カトリック側の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 06:15 UTC 版)
「ネルトリンゲンの戦い (1634年)」の記事における「カトリック側の動き」の解説
1634年2月25日にヴァレンシュタインが皇帝によって暗殺されると、皇帝軍総司令官の座は空白となった。皇帝フェルディナント2世は、自らの嫡男であるハンガリー王フェルディナントを総司令官に任命した。皇帝による強引な人事であったが、フェルディナントが帝位継承者である事を帝国内に宣言するものでもあった。当初フェルディナントの地位はあくまで飾り物であったが、彼はネルトリンゲンにおける勝利によってその存在を知らしめる事に成功する事となる。
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