オラウス・マグヌス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:10 UTC 版)
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オラウス・マグヌス(Olaus Magnus, 1490年 - 1558年8月1日)は、スウェーデンの宗教家、歴史学者および地理学者。ゴート・ルネサンスに貢献した人物。
経歴
1490年、リンシェーピングのスケーニンゲに生まれた。「偉大な」を意味するマグヌスという添え名の通り、名門の貴族の出身。
1510年から1517年までドイツで学問を修めた後、兄のヨハン同様に高位聖職者の道を進み、ストレングネース大聖堂のプロボストに任命された。1523年、国王のグスタフ1世がヨハンをウプサラ大司教に任じ、オラウスをローマの教皇国へ派遣。しかしほどなく、スウェーデンに宗教改革の波がおしよせ、ウプサラ大司教のヨハンは、国王による改革を阻止しようとしたが、徒労に終わり、1537年にローマへ赴いた。
1544年にヨハンが亡くなり、代わってオラウスがウプサラ大司教に任命されたが、既に大司教の座は形骸化していたため、オラウスはスウェーデンには戻らず、その後の人生の大部分をローマの聖ビルギッタ修道院で過ごした。1545年から1549年までは、教皇パウルス3世の委任を受け、トレント公会議に出席した。
1558年(一説によれば1557年)8月1日、ローマで没。没後は、サンピエトロ大聖堂の兄の墓の隣に埋葬された[1][2]。
カルタ・マリナ
オラウスは、ルネサンスにおける、最も重要な地理学者の一人である。
北欧の知識に秀でており、かつ、ヨーロッパ北東部の交通について提唱した最初の人物でもあったオラウスは、北欧の大地図を制作するにいたり、その地図は、1539年に Carta marina et descriptio septentrionalium terrarum ac mirabilium rerum という名前でヴェネツィアで発行された。これにはグリーンランドの南海岸から、バルト海のロシア側沿岸、アイスランド、北海の島嶼部、スウェーデン、ノルウェー、デンマークそしてフィンランドまでが網羅されている。この地図は、北欧を客観的かつ明確に表現した初めてのものであり、プトレマイオス式の地図をもしのぐものだった。
長い間紛失されたものと考えられていたが、16世紀に入手されたうちの一部が、ミュンヘンのバイエルン州立図書館に保管されているのが、1886年にオスカー・ブレンナーにより発見された。
ミュンヘン大学付属図書館にはおおまかな手書きの写しがある。ツェーノ兄弟が1400年に行ったとされる北方の旅についての書物が、兄弟の子孫であるニコロにより1558年に出版された時は、この地図が情報源となった。ゼバスティアン・ミュンスター、ジャコモ・ガスタルディ、そしてアブラハム・オルテリウスもこの地図に高い評価を与えた[1]。
北方民族文化誌
オラウスの他の著作として『北方民族文化誌』がある。22冊にものぼる書籍で、北方の国々の商業や政治、地形、鉱物、生物などが図版付きで紹介されている。また、スウェーデンの聖女ブリジッテの娘であるカタリナの生涯をつづった Vita Catharinae や Vita abbreviata S. Briggitae, 兄ヨハンと共同で Historia Gothorum librls XXIV(1554年)、Historia Metropolitana, seu Episcoporum et Archiepiscoporum Upsaliensium(1557年)を発行している[1]。
脚注
オラウス・マグヌス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 02:24 UTC 版)
エビのように書かれたポリュプス "M"と印された怪物 —『カルタ・マリナ』(1539年、部分)。 巨大エビが人を捕る —ヘンリー・リー(1875年)の複製、原画はオラウス・マグヌス『北方諸民族誌』(1555年) "クラーケンは、ザリガニやロブスターとして描かれています" スウェーデン人の オラウス・マグヌスは「クラーケ[ン]」という名前を用いていないが、さまざまなモンスターの画をその地図『カルタ・マリナ』(1539年)や著書にちりばめていることが知られ、これらのいずれかが「クラーケン」を表してないか、その試論がみられる。 オラウスの著書によれば、ある種の「鯨」は、長い歯をもち、それは"イノシシやゾウの牙のようで"、大きな眼をまもっていると書いており、これが"角を生やすことができる(飛び出さすことができる)"としている。そしてそれは角質のように硬いが、しなやかにもできるのだとする。だが、この「牙形態」のほうは「豚鯨」(ドイツ語: Schweinwal)、「角形態」のほうは「あごひげ鯨」(ドイツ語: Bart-wal)というふうに、別種としてスイスの博物学者ゲスナーが命名している。ゲスナーによれば、「星のようなあごひげ」が、上顎・下顎の周囲を取り巻くのだという。そして、これは北欧人の伝えるクラーケンのでないかと推論もみえる。 また、オラウスの地図は"クラーケンやら他のモンスターの図像が満載される"と述べる近年の学者もいる。 ジョン・アシュトンの著作(1890年、和訳『『奇怪動物百科』、2005年』) は、かなりの紙面をさいてオラウスの怪物についての解説をおこなっており、有角(あごひげ)の鯨についても引用している。ただアシュトンの持論は、オラウスがクラーケン(巨大ポリュプス)を「ザリガニやエビの姿で描いた」というものであるポリュプスは「タコ」であるはずなのに、オラウスの著書では、「ポリュプス蛸について(De Polypis)」の章の上の挿絵が、人間を捕らえた巨大エビの場面であり、同様の巨大エビが地図にも表れる。博物学者のヘンリー・リーもまた、オラウスのこの挿絵は、巨大イカ類が襲った事件を、多足のロブスターとして誤って描写したのだろう、と意見している。 ただオラウスの地図の説明文が、必ずしも書籍とは一致しない。オラウスの地図の左下( アイオナ島)に"M"と記される人間をハサミでとらえた怪物は、詳しい説明文が欠如している。ただ、この地図と関連するテキストとされる『Auslegung』には、何等分かされた地図のこの区域は、アイルランドから「幸運の島 Insula Fortunata」に至ると書かれていることを付記すべきであろう。
※この「オラウス・マグヌス」の解説は、「クラーケン」の解説の一部です。
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