オノゴロ島伝承の地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:46 UTC 版)
沼島 沼島は空から見ると勾玉のような神秘的な形をした離島で、淡路島の南海上4.6km先に位置している。1994年(平成6年)に、1億年前の「地球のしわ」とされる「鞘型褶曲(さやがたしゅうきょく)」と言う、非常に珍しい岩石が発見された島である。 沼島の海岸線には奇岩や岩礁が多く見られ、東南海岸には、矛先のような形をした高さ約30mの屹立する巨岩「上立神岩(かみたてがみいわ)」がそびえ立ち、国生みの舞台を思わせる象徴的な存在となっている。この上立神岩は、神話に登場する「天の御柱」とも言われ、イザナギノミコトとイザナミノミコトの2神が降り立ったと伝わっている。 おのころ(自凝)神社 沼島内の小高い山の上にあるおのころ神社、イザナギノミコトとイザナミノミコトの2神を祀る。地元では山全体が「おのころさん」と呼ばれ大切にされてきた神体山である。 紀淡海峡の友ヶ島の沖ノ島 友ヶ島の神島は淡嶋神社の発祥の地とされている。もとは神島で少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おほなむじのみこと)を祀っていたところ、仁徳天皇の時代に離島では何かと不自由であろうと、現在の和歌山市加太に遷座した所以である。これらのいきさつから、友ヶ島のいずれかがオノゴロ島ではないかと古くから推し測られている。 淡路市の絵島 絵島は淡路島の岩屋港にある小島。地質学的に貴重な約2000万年前の砂岩層が露出し、岩肌の縞模様が美しく、『山家集』の歌や『平家物語』などにも詠まれ、古来より月見の名所として知られる。 近くの岩屋城跡の丘下洞窟には、イザナギノミコトとイザナミノミコト、そして2神の最初の子である蛭子命(ヒルコノミコト)を祀る「岩樟(いわくす)神社」がある。日本神話で蛭子命は不具の子であったため、後に葦舟にのせて流されてしまう神であるが、伝承によるとこの岩屋から蛭児命は流され、えびす宮で有名な西宮神社に辿りつき神体になったと言われている。 自凝島(おのころじま)神社 淡路島内の小高い丘にある自凝島神社、イザナギノミコトとイザナミノミコトの2神を祭神とし、キクリヒメノミコトが合祀されている。高さ約21mの朱色の大鳥居がシンボル。 自凝島神社は現在陸地にあるが、なぜオノゴロ「島」と言われているかについては、数千年前の縄文時代では、丘の辺りは海に浮かぶ小島だったという説に由来している。神社を西側に下ると、「天の沼矛」から滴り落ちた塩と伝わる安産のお砂場があり、産宮神社となっている。 なお、淡路島自体は国生み神話の節でイザナギノミコトとイザナミノミコトが生んだ島々に含まれている。 十神山(島根県安来市) 十神というのは伊邪那岐、伊邪那美両神を除いた神世七代の神々を祀ったことによる名称とされている。ここはかつては十神島という本土から切り離された島であったことが文献学(出雲国風土記)・地質学的に確認されている。また古事記にみえる伊邪那美神が埋葬されたという「伯耆と出雲の堺、比婆山」(比婆山久米神社)が近くにあることやスサノオの宮とされる須賀神社(富田八幡宮)あるいは黄泉平坂とされる揖屋神社(松江市)などの神世から神代へうつりかわる言い伝えが社伝として残る地域でもある。 筑波山 播磨灘の家島 鳴門海峡の飛島 地球そのもの 江戸時代の国学の一説
※この「オノゴロ島伝承の地」の解説は、「オノゴロ島」の解説の一部です。
「オノゴロ島伝承の地」を含む「オノゴロ島」の記事については、「オノゴロ島」の概要を参照ください。
- オノゴロ島伝承の地のページへのリンク