ウンターマイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 09:44 UTC 版)
アシャッフェンブルクから河口まで、言い換えればヘッセン州のマイン川は、完全に大都会の中を流れる。数kmにわたって河岸に建物がない区間などほとんどない。 アシャッフェンブルクから下流のマイン川は緩やかに何度も蛇行しながら北西に向かう。ヘッセン州は左岸の、カロリング朝のアインハルト・バジリカが遺る大変に古い都市ゼーリゲンシュタットから始まる。対岸のカールシュタイン・アム・マインはバイエルン州の町である。ゼーリゲンシュタットの旧市街とシュタウフェン朝の皇帝の宮廷は、直にマイン川の畔に接していた。 こうした歴史的建造物に対して、この流域の多くをなす新しい時代の象徴する建築は右岸の次の街から姿を現す。カール・アム・マインには1961年にドイツで初めて建設された原子力発電所がある。その試験反応炉は1985年に操業停止となり、取り壊された。この他にカールの街では、同名の川がマイン川に合流する。 カールは、マイン川沿岸のバイエルン州最後の街である。マイン川右岸最初のヘッセン州の街は、遠くからもその姿を望むことができる大規模火力発電所であるシュタウディンガー発電所を有するグロースクロッツェンブルクである。その対岸はハインブルクである。さらに数km下ると、右手にハーナウが現れる。左手はかつては独立市だったが現在はハーナウの市区に合併されたシュタインハイム地区である。 キンツィヒ川は、マイン川に合流する手前で旧市街を取り巻くように蛇行する。かつての宮廷所在地で軍の駐留都市であった市街中心部は、今ではその面影を見ることはできない。それは、1945年の空襲で完全に破壊し尽くされてしまった。現在はマイン川最大の港を擁する、人口約9万人の工業都市に変貌した。ただし郊外のフィリップスルーエ城は川から直接眺めることができる。 ハーナウからマイン川は再び西向きに流れ、やがてフェッヒェンハイムの蛇行に達する。マイン川に周囲を取り囲まれた半島状の地域がフランクフルトのフェッヒェンハイム地区で、その対岸は、人口12万人の工業と革製品の都市オッフェンバッハである。オッフェンバッハのマイン川沿いの建物で最も有名なのはイーゼンブルガー城である。 この頃には、マイン川はすでにドイツ最大の産業密集地域に流れ込んでいる。フランクフルトの、ベルゲン=エンクハイム地区からフェッヒェンハイム地区、オステント地区を通って、マイン南岸のオッフェンバッハまでがそれである。ここに3つの港が設けられている。オッフェンバッハ港、フランクフルト上港、東港であり、あわせて5つの接岸壁がある。近年の構造変化に伴い港湾施設の一部は廃止された。オッフェンバッハ港の突堤にはビーチクラブができた。 オッフェンバッハ堰のすぐ下流にフランクフルト市民の憩いの場であるゲーバーミューレがある。ここは1815年にヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテとマリアンネ・フォン・ヴィレマーが密かに会った場所でもある。 この後、マイン川はフランクフルト中心部を流れ下る。ドイチュヘルン橋からマイン=ネッカー橋までは、ドイツで最も印象的な大都会の風景を味わえる場所の一つである。大都会の真ん中を、河岸に広く都会的な遊歩道を持つ大きな川が貫いている風景はドイツでは珍しい。大都市内での水を用いた演出という意味では、ケルンのライン河畔やハンブルクのアルスター川(あるいはアルスター湖)といった例があるが、フランクフルトに似た例は、エルベ川が流れるドレスデンくらいしかない。 この区間には9本の橋が架かっている。S-バーンとU-バーンがそれぞれ地下で川を横切っている。東から近づくと、様々なメディアで馴染み深い、高層ビルを背景にした大聖堂や旧市街教会の塔の風景を見ることができる。マイン川の右岸には旧市街が位置し、左岸は博物館堤 (Museumsufer) があるザクセンハウゼン地区である。マイン川の小島の上に古橋が架かっている。レーマーベルクのザールホーフとザクセンハウゼン地区の三位一体教会の間を歩行者専用橋のアイゼルン・シュテクが結んでいる。 都市中心部の終わり近くの右岸に、ヨット専用港として用いられている閉鎖されたフランクフルト西港がある。かつて港湾施設があった場所は、新しい住宅や産業地区になっている。 中心部から数km下流右岸のニッダ川の合流点近くに現在はフランクフルトの市区となっている古い都市ヘヒストがある。大司教の城館のルネサンス様式の塔、カロリング朝のユスティヌス教会、よく保存された都市防衛施設は遠くからもよく目立つ。ヘヒストの旧市街のすぐ西側のマイン川両岸には4km²の広さを持つヘヒスト・インダストリー・パークがある。ここは、かつてヘキスト化学コンツェルンの本社があった場所で、企業専用港の「トリモーダルポート」、コンテナの積み降ろし場や鉄道施設などがあった。さらに下流の右岸に、フランクフルトのジントリンゲン市区が現れると、川は左にカーブし、やがて左手にケルスターバッハが現れる。 ケルスターバッハからは、ケルスターバッハ石油港(フランクフルト空港用である)沿いに右に蛇行する。石油港の後、左岸には貨物船の輸送港がある。右岸にはハッタースハイムのオクリフテル地区が姿を現す。ここには小さな貨物港がある。夏期だけだがオクリフテル - ケルスターバッハ間に人や自転車を運ぶ渡し船が運航される。オクリフテル地区に続いて、エッダースハイム地区と同名の堰が現れる。 アウトバーンA3号線とドイツ鉄道のフランクフルト - ケルン線の橋を越えると左手にシェル石油の石油港がある。風景にわずかだが自然の姿が再び現れる。両岸には木が植えられ、一部は砂の河岸となっており、暑い日には泳いでいる人もいる。ラウンハイム側の左岸に沿って連邦道B43号線が走っている。かつてのラウンハイムの堰はヨットクラブ・ウンターマインの所有となり、港として活用されている。この港への入り口に接岸壁がある。 マイン川右岸はフレアスハイム市で、ボートクラブの船着き場やボートハウスやシェルのタンカーのための港がある。この石油港の対岸、左岸はアダム・オペルAGの本社があるリュッセルスハイムである。 河口直前、右岸のホッホハイム付近で、ブドウ畑が思いがけなく現れる。このワインは、ラインガウ・ワイン生産地区に属すホッホハイマー・ワインとして名高い。そして、最後の堰であるコストハイムの堰が現れる。 マイン川沿い最後の町は、右岸がコストハイム、左岸がグスタフスブルクである。ともに1945年まではマインツの市区であったが、ヘッセン州が行ったこれら市区の分離により、コストハイムはヴィースバーデン、グスタフスブルクはギンスハイム=グスタフスブルクに属している。 ライン川に注ぐ河口は、マインシュピッツェと呼ばれ、マインツ要塞の対岸にあたる。別の古い川筋は、コストハイムの港として利用されており、その間の島は、Maaraueと呼ばれている。
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