イッター城収容所とは? わかりやすく解説

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イッター城収容所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 02:38 UTC 版)

イッター城の戦い」の記事における「イッター城収容所」の解説

イッター城(英語版) (Schloss Itter) は、オーストリアのイッター(英語版)という建てられ小さな城である。19世紀頃からは様々な所有者によってホテル別荘として使用され1925年にはチロル州副知事フランツ・グリューナー(ドイツ語版)が美術品保管する施設として買い上げた。 アンシュルス後の1940年、グリューナーとドイツ政府当局の間でイッター城の賃貸契約結ばれた1942年にはタバコ害悪と戦うドイツ同盟Deutscher Bund zur Bekämpfung der Tabakgefahren)のオストマルク本部として使用されていたが、同年11月23日より親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーの命を受けたオズヴァルト・ポールSS中将親衛隊による接収の手続き開始した1943年2月7日には正式に接収され、イッター城は「名誉囚人 (Ehrenhäftlinge)」、すなわち知名度高くドイツ側にとっての十分な利用価値見込まれ囚人収容する別の収容所として指定された。同年4月25日までに捕虜収容所として改装され4月28日には所長ゼバスティアン・ヴィンマーSS大尉が妻を連れて着任している。彼は非常に残忍な人物として囚人だけではなく部下からの評判悪かったSSゾンダーコマンド・イッターとしてヴィンマーに与えられ戦力は、SS髑髏部隊14名、女性補助員1名、ジャーマン・シェパード6頭であった改装された城の周囲には、有刺鉄線投光機設置されていた。 1943年5月2日最初囚人としてエドゥアール・ダラディエ元首相モーリス・ガムラン将軍労働運動幹部レオン・ジュオーの3人が到着したその後ポール・レノー元首相1943年5月12日到着)、ジャン・ボロトラスポーツ教育長官(1943年5月12日到着)、ジュオー秘書愛人のオーギュスタ・ブルシュレン(1943年6月19日到着)、レノー秘書愛人のクリスティアーヌ・マビア(1943年7月2日到着)、アンリ・ジロー将軍の娘婿マルセル・グランジェ(1943年7月2日到着)、マキシム・ウェイガン将軍と妻マリルネジョセフィーヌ1943年12月5日到着)、政治家ミシェル・クレマンソー(フランス語版)(1944年1月9日到着)、右翼団体指導者フランソワ・ド・ラロック1944年1月9日)、シャルル・ド・ゴール将軍の姉マリー=アニエス・カイリューと夫アルフレッド1945年4月13日到着)が加わり、イッター城に収容された名誉囚人合計14となった。イッター城に収容されている間、彼らは政治的な立場違い過去軋轢からしばしば衝突したという。 その性質上、イッター城収容所の生活環境は非常に恵まれていた。城内には囚人自由に利用できる300冊の蔵書があり、中庭自由に歩きまわることが許されていた。許可得れば監視付きながらイッター村の教会訪れることができたし、必要と認められれば軍病院などの医療機関にかかることもできた。食料も豊富で、チェコ人料理人アンドリアス・クロボットがこれを管理していた。また、レノー部屋にはクロアチア出身抵抗運動メンバー電気技師としてイッター城に勤務していた囚人ズヴォニミール・チュッコヴィッチ (Zvonimir Čučković) が看守から盗み出したラジオ隠されており、囚人たちはこれを用いてBBCなどの海外放送から情報得ていた。 名誉囚人のほか、東欧系女性囚人らがダッハウ収容所より雑役要員として派遣されていた。彼女らは腕に番号刺青されていた為、「番号囚人」と呼ばれた

※この「イッター城収容所」の解説は、「イッター城の戦い」の解説の一部です。
「イッター城収容所」を含む「イッター城の戦い」の記事については、「イッター城の戦い」の概要を参照ください。

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