ゼバスティアン・ヴィンマーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ゼバスティアン・ヴィンマーの意味・解説 

ゼバスティアン・ヴィンマー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/17 08:56 UTC 版)

ゼバスティアン・ヴィンマー
Sebastian Wimmer
生誕 1902年1月5日
ドイツ帝国 ディンゴルフィング
死没 1952年12月10日(満50歳没)
西ドイツ ディンゴルフィング
所属組織 親衛隊
軍歴 1935年 - 1945年
最終階級 親衛隊大尉
テンプレートを表示

ゼバスティアン・ヴィンマー(Sebastian Wimmer, 1902年1月5日 - 1952年12月10日)は、ドイツの警察官、軍人。ナチス・ドイツの時代、親衛隊の将校としてマイダネク収容所の看守長(Schutzhaftlagerführer)や、イッター城収容所英語版の所長などを務めた。親衛隊員としての最終階級は親衛隊大尉ヴェステル・ヴィンマー(Westel Wimmer)の別名でも知られる。

経歴

1902年、ディンゴルフィングドイツ語版にて生を受ける。

ヴィンマーは1923年3月から1935年2月までミュンヘン市警察に勤務し、退職までに少なくとも上級巡査(Oberwachtmeister)に昇進している。1935年3月、将校として親衛隊に入隊する(隊員番号264,374)。配属先はダッハウ収容所の「オーバーバイエルン」SS警備部隊だった。1939年秋、第3SS装甲師団に移る。1942年1月末には第2SS装甲師団に移ったが、同年9月初頭からは再び第3師団に勤務した。

1942年9月末から1943年2月中頃まで、マイダネク収容所の看守長(Schutzhaftlagerführer)を務めた。1943年3月から1944年10月初頭まで、ダッハウ収容所に副看守長として勤務。その後、ダッハウ収容所の外部収容所と位置付けられていたイッター城収容所英語版に所長として勤務する。イッター城収容所には名誉囚人(Ehrenhäftlinge)、すなわち知名度が高く、ドイツ側にとっての十分な利用価値が見込まれた囚人が収容されていた[1]

1945年5月4日、武装親衛隊将校のクルト=ジークフリート・シュラーダーSS大尉(Kurt-Siegfried Schrader)を所長代理に指名した後、妻と共に城を脱出する[2]。そのため、イッター城の戦いには居合わせていない。

連合国軍によるチロル制圧後に逮捕され、フランス軍が捕虜収容所を設置していたクーフシュタイン要塞英語版に送られた。その後、ヴィンマー夫人からの要請を受けた元名誉囚人の介入により減刑され、1949年に釈放された。釈放後はヴェルグル近くの農場で働いていたが、やがて妻と離婚して故郷に戻り、1952年に自殺した[3]

脚注

  1. ^ 10.1 NS und SS Einrichtungen (PDF)”. Haus der Bayerischen Geschichte. 2015年3月2日閲覧。
  2. ^ ハーディング 2014, p. 142.
  3. ^ ハーディング 2014, p. 249.

参考文献

  • Wolfgang Benz, Barbara Distel (Hrsg.): Der Ort des Terrors – Geschichte der nationalsozialistischen Konzentrationslager, Band 7, Verlag C. H. Beck, Nördlingen 2005, ISBN 3406529674
  • スティーヴン・ハーディング 『ドイツ・アメリカ連合作戦: 第二次世界大戦の「奇跡」といわれた捕虜収容所奪還作戦』 花田知恵訳、原書房、2014年(原著2013年)。ISBN 4562051167



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ゼバスティアン・ヴィンマー」の関連用語

ゼバスティアン・ヴィンマーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ゼバスティアン・ヴィンマーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのゼバスティアン・ヴィンマー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS