イタリヤード独自のFC構築
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「イタリヤード」の記事における「イタリヤード独自のFC構築」の解説
北村は自ら営業部長を兼任し、北村曰く「鬼の社長に変身して」再び営業全般を統括管理し、現場の従業員や顧客から話を聞きまわった。合わせて1987年6月に四条河原町にオープンした直営の小売店「アンドレルチアーノ」を社長直轄とし、自ら店頭に立ちながら1年がかりで商品の品揃えから売上に至るまでのデータを収集し、分析を進めた。その結果、「KDD、つまり勘と度胸と丼勘定に頼るアパレル業界の常識を破らなければならない」、「人間の勘に頼ったアナログ発想から、数値化した販売情報に基づくデジタル発想に切り替えねば」と痛感。また、業界の慣習である得意先の意向に沿った商品展開に触れ、「リスクを持てるものがリーダーシップを握るべき」との思いを強くし、「店に置く商品はイタリヤードが選び、返品も値引きもイタリヤードが責任を持つ」独自のフランチャイズ(FC)を考え出した。 1988年(昭和63年)より、百貨店のインショップを含めた10店舗でオリジナルブランドに係るFCを開始した。イタリヤードにおけるFCは、「イタリヤードはFC店にブランド商品を販売し、FC店は専属に扱う。値引きも返品もイタリヤードが受ける」との内容に尽きる。通常取引ではFC店の粗利は35%、1月および7月のバーゲン時には在庫商品を3-4割引で販売してもらう代わりに、FC店の粗利は30%と設定した。一般的なFCの概念と大きく異なり、イタリヤードはFC店から粗利から歩合を取ることも、ロイヤルティーを取ることもしなかった。在庫リスクはイタリヤードが負うため、POSシステムを導入してフランチャイジー(FC店)の商品販売状況を即時に把握できるようにし、売上実績に基づくデータから店舗規模によって出荷パターンを数種類用意し、人の手を介さず追加発注指図を出すシステムをつくり上げた。1990年(平成2年)にはイタリヤード、FC店、協力工場、物流センターをオンラインで結ぶネットワークをつくり、発注に伴う物流業務を外部業者に委託することで、FC店は接客に専念できる環境が整った。 また北村は、今般の経常赤字転落の要因は「安直なアパレル業界の常識に沿った、多品種少量生産(多品種、小ロット、短サイクル)」にあり、「販売動向を分析してみると、定番商品がよく売れている。売れ筋や過去のアレンジ品に生産を絞り込み、中品種多量に転換することで売上予測は立てられる」と判断。安定して売れる(素材やデザインに手を加えない)定番品を3分の1、売れ筋商品に部分的に手を加えるアレンジ品を3分の1、新規企画商品を3分の1それぞれ加工販売する「品揃え3分の1の原則」を考案した。これにより、定番品とアレンジ品については早期に発注できるようになった。加えて、各ブランドに用いる色をワンシーズンで4-8色に、パターンを150程度と従前の半分程度に抑え、かつ「全女性の70%程度はMサイズでカバーできる」との情報に基づき、加工をMサイズに限定した。こうして、生産コストの削減と商品管理の平易化に寄与する中品種多量生産を徹底させた。 FC店の急増に伴い売上利益も並行して急伸し、1989年(平成元年)には経常利益を黒字に戻した。1990年代前半に到来したイタリアンブームも追い風となり、1994年(平成6年)にはFC店が160店に増加し、売上156億9,400万円、経常利益17億1,000万円に上る一方で、イタリヤードが管理する在庫は最大でも15億円、期末には6億1,100万円に抑えることに成功した。
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