イアン・フレミングの小説
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「ジェームズ・ボンド」の記事における「イアン・フレミングの小説」の解説
フレミングは銀行員、ジャーナリストなどを経て、第二次世界大戦中は海軍情報部とMI6で特別工作に携わっており、この経験を活かして007を書いたと言われる。 「ジェームズ・ボンド」という、英語圏ではやや凡庸な印象の強い名前は、戦前の活劇映画的な、華やかな印象の名を、フレミングが意識的に避けたものである。フレミングが愛読する鳥類研究書の著者の名から取られた。 フレミングの小説「007シリーズ」は1953年の第1作『カジノ・ロワイヤル』に始まって、フレミングが没する1964年まで書き継がれる。 当初はそれなりの評価を得ながらも、あまり売れなかった。そのため、フレミングは何度もシリーズを終了しようと考えるが、そのたびに映像化の話が出てきて、シリーズは継続されることになった。本格的に売れ始めるのは1950年代後半で、そのきっかけは、フレミングと縁があったケネディ米大統領が『ロシアから愛をこめて』を愛読書のリストの中に入れたことだった。 その作風は、従来のイギリスにおける主流であった重厚なリアリズム派スパイ小説とは対極にあり、華やかで享楽的な設定の中で、アメリカのハードボイルド小説の影響を受けたシビアな暴力やアクションを描くものであった(『カジノ・ロワイヤル』はその好例である)。 しかし、やがて西部劇やスペースオペラさながらの「悪役から美女を救い出す」凡庸なパターンにはまってしまった結果、1950年代末期以降の作品はマンネリ化し、誇大妄想的な設定が多くなった(1959年の『ゴールドフィンガー』など)。
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イアン・フレミングの小説
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「フェリックス・ライター」の記事における「イアン・フレミングの小説」の解説
カジノ・ロワイヤル CIA局員としてパリのNATO連合情報部にいたところを、イギリス秘密情報部員のジェームズ・ボンドがフランスのカジノ・ロワイヤルで任務を行うことになり、彼に協力するため派遣される。ボンドとはそれが初対面。35歳ぐらいで痩せていて背が高く、麦わら色の髪で目はグレー。テキサス出身で、CIAに入る前は海兵隊員だった。タバコはチェスターフィールドをふかし、ヘイグ&ヘイグのオン・ザ・ロックを飲む。 死ぬのは奴らだ カジノ・ロワイヤルでの活動の後、ワシントンに異動。任務でニューヨークに派遣されたボンドとFBIとの連絡係を務める。しかし、ボンドに協力してエバーグレーズで敵ミスター・ビッグを追ううち、鮫のいる水槽に落ちて右腕と左脚を食いちぎられてしまう。 ダイヤモンドは永遠に 右腕と左脚を失ったためCIAを退職し、ピンカートン探偵社に就職。競馬ギャング班の責任者をしていたところ、潜入捜査でニューヨークに来たボンドと再会し、彼に協力する。鋼鉄の鉤付きの義手と義足を装着。スチュードベイカーのコンバーチブルにキャデラックのエンジンを載せた「スチュディラック」と称する車に乗っている。 ゴールドフィンガー ゴールドフィンガーを探っていたボンドが、アメリカ合衆国フォート・ノックスに貯蔵された金塊強奪の陰謀を知り、ピンカートン探偵社のライターに宛ててそのことを説明した手紙をラガーディア空港のトイレに残す。それを受け取ると、海兵隊時代の戦闘服を着て部下を引き連れ、ボンドを救出する。 サンダーボール作戦 相変わらずピンカートン探偵社に勤務していたが、スペクターに奪われた原爆捜索のため古巣のCIAに召集され、ナッソーに派遣されたボンドに協力する。ボンドと共にアメリカ海軍原子力潜水艦のメンタ号に乗り込み、義手に特製の水かきをはめて、海中での戦闘にも参加する。 黄金の銃を持つ男 まだピンカートン探偵社に勤めていたが、主にボンドとの仕事で得たジャマイカの知識が買われ、再びCIAに召集されて、ジャマイカでのKGBの活動を探る任務に従事。そこへ殺し屋スカラマンガの活動に終止符を打つため送り込まれてきたボンドと再会し、協力体制を取る。
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