東山官衙遺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 東山官衙遺跡の意味・解説 

東山官衙遺跡

名称: 東山官衙遺跡
ふりがな ひがしやまかんがいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 宮城県
市区町村 加美郡加美町
管理団体
指定年月日 1999.01.28(平成11.01.28)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 東山官衙遺跡は宮城県北部所在する古代遺跡で,郷土史家板垣剛夫氏が土塁状の高まり礎石古代土器や瓦を発見し陸奥国加美郡衙の可能性指摘したことにより注目された。昭和61年からの宮城県教育委員会多賀城跡調査研究所)と宮崎町教育委員会による発掘調査結果築地や門及び規則的に配置され掘立柱建物等の遺構きわめて良好な保存状況確認され古代官衙遺跡であることが判明した
 遺跡大崎平野西端奥羽山脈から南東にのびる丘陵先端台地上,標帯約80mの平坦面に立地する台地上は北東部除いて周囲に谷が入り込み独立した地形をなし,南側には比高約20mの沖積地展開する台地平坦面は東西300m南北約250mの方形にちかい形状呈し遺跡はその全面展開する台地縁辺には築地塀巡り,その南辺中央の谷部には正門となる掘立柱の八脚門がある。築地塀遺跡全体区画施設であり,北辺築地塀外側大溝伴い防御性優れた
造となる。
 遺跡のほぼ中央には幅3m南北大溝があり,遺跡東西二分する大溝東側には、板塀囲まれ東西57m,南北52mの方形区画がある。この南辺には入口があり,区画内には中央の広場北側東西両側桁行5間,梁間2間ないし3間の掘立柱建物配置される構造建物配置からみてこの区画政庁で,北の建物正殿東西建物脇殿考えられる。この区画北側からは多数掘立柱建物と「館上」「上厨」等の墨書土器出土しており,さらにその東側には鉄器や漆製品工房推定される掘立柱建物竪穴住居がある。大溝西側には、梁間3間、間3間ないし4間を主とした総柱建物規則的に配置される総柱建物掘立柱建物から礎石建物変化する周辺からは多量焼米出土しており正倉考えられ北側掘立柱建物群はその管理施設考えられる遺跡内には官衙設置造営経営関係する考えられる竪穴住居かなりある。この道跡は多賀城創建瓦と同じ瓦や土器出土から,8世紀前半から中頃造営され10世紀中頃廃絶した考えられる
 東山官衙遺跡は政庁倉庫考えられる施設の構成からみて主要な施設が一カ所にまとまる形態郡衙可能性が強い。この地域陸奥国加美郡にあたり墨書土器の「上厨」の「上」は加美郡意味する可能性が高い。一方台地上に立地し遺跡全体築地塀大溝区画するという構造は、郡衙よりも東北地方城柵一般的である。
この地域陸奥国政治・軍事拠点である多賀城の北約40血に位置し奈良時代前期までは律令体制に組込まれていなかったと考えられるこうした背景のもと,防御性優れた築地塀大溝という外郭施設備えたことが考えられる。したがって,この遺跡時宮県北部における律令体制成立官衙構造具体的に知る上できわめて重要である。よって史跡指定し保護しようとするものである



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東山官衙遺跡」の関連用語

東山官衙遺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東山官衙遺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS