瓦の供給先
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 05:50 UTC 版)
日の出山瓦窯の瓦は、多賀城のほか、多賀城廃寺、色麻町の一の関遺跡、加美町の城生柵・菜切谷廃寺・東山官衙遺跡、大崎市の名生館官衙遺跡・伏見廃寺などにも供給されていた。なお、多賀城の瓦は他に木戸瓦窯、大吉山瓦窯(ともに大崎市)でも焼成されていた。 本瓦窯では軒丸瓦、軒平瓦、丸瓦、平瓦が生産されている。このうち軒丸瓦と軒平瓦の文様が創建期多賀城使用瓦と同型式であることが早くから注目されていた。軒丸瓦は八弁重弁蓮花文で、面径18センチ。中房の蓮子は中央に1、周囲に4ある。面径の小さいことと、中房が凹むことが特色である。軒平瓦はヘラ描きで二重弧文を表し、顎部には鋸歯文を表す。 多賀城の変遷は以下のように4期に区分される。このうち、II期以降の瓦は多賀城近くで生産されているのに対し、I期の瓦は日の出山を含む大崎平野の瓦窯で製作されていた。 I期 - 神亀元年(724年)大野東人による創建 II期 - 天平宝字6年(762年)藤原朝狩による大修理 III期 - 宝亀11年(780年)伊治呰麻呂の焼打からの復興 IV期 - 貞観11年(869年)貞観地震からの復興
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