東大寺旧境内とは? わかりやすく解説

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東大寺旧境内

名称: 東大寺旧境内
ふりがな とうだいじきゅうけいだい
種別 史跡
種別2:
都道府県 奈良県
市区町村 奈良市手貝町雑司町押上町芝辻町今小路町水門町登大路町春日野町
管理団体 奈良県(昭8・119)
指定年月日 1932.07.23(昭和7.07.23)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日 平成9.05.19
解説文: 東大寺聖武天皇邦家慶福叡慮ニ依リテ建立セラレシ大伽藍ニシテ規模雄大ナルコト世界比類ナク境内ニハ大佛殿中心トシテ東方大鐘、■二月堂手向山神社(旧鎭守)等アリ西方戒壇院附属堂舍アリ西北正倉院アリ創立當時ノ轉害門及鎌倉時代南大門アリ東西兩塔ノ土壇大講堂三面僧房食堂等ノ礎石猶原位置ニ存セルノミナラス コノ大伽藍區域ヲ廻リテ僧房雜舍境内諸處散在舊塔頭寺院ノ跡ハ現今民有地トナリシ處アリト雖モ寺名ヲ地字ニ存シ中門阯、西大門阯、聖武天皇御拝壇阯等皆礎石ニヨリテ平城京東京路タリシ現今手具通ト境シ北方雜司方面區劃旧時ニ異ナラス東大寺四至ハカリテ天平創立當初ノマヽ依然トシテ嚴存國家鎭護靈域タリシ舊態ヲ保チ我國ノ史蹟トシテ最モ重要ナルモノノ一ナリトス
H09-07-052[[東大寺旧境内]東大寺きゅうけいだい].txt: 東大寺は、天平15年743)の聖武天皇廬舎那仏建立の詔によって造建された奈良時代代表する官寺であり、総国分寺でもある。その旧境内のうち、南大門西大門跡、知足院手向山八幡宮から若草山中腹に及ぶ範囲が、昭和7年史跡指定されているが、大仏殿西北位置する正倉院一郭は、未指定のまま残されている。
 元来正倉院は、東大寺正倉建ち並んでいた一郭であり、そのうち一棟今日に残る正倉であると考えられている。現存する正倉は、間口33メートル奥行9.3メートル総高14メートル寄棟造り本瓦葺高床倉庫で、1棟を3区分し、北倉中倉・南倉からなっている。北倉と南倉は三角形校木組み上げ校倉造り中倉板倉造りであり、創建当初の姿を伝え奈良時代倉庫建築である。
 天平勝宝8歳756)、聖武太上天皇崩御の後、太上天皇遺愛宮廷用品廬舎那仏献納され、北倉収蔵された。中倉と南倉には、造東大寺司東大寺用度品、仏具古文書武器等が収蔵された。これら正倉院宝物は、天平時代中心とするわが国歴史美術工芸、また大陸との交渉物語貴重な品々である。
 正倉は、江戸時代まで東大寺所属したが、その開閉には勅使派遣されるなど、厳重な管理が行われた。明治維新の後、正倉院は、東大寺離れて内務省管轄となり、やがて宮内省所管となり、今日宮内庁管轄するところとなっている。昭和20年代から30年にかけて東西宝庫新築され、正倉院宝物は両新宝庫収蔵されている。
 以上のように、正倉院一郭は、歴史的には東大寺旧境内と一体のものであり、また現存する正倉は、正倉院宝物伝えてきた奈良時代正倉として、きわめて重要な歴史的意義有している。よって、東西宝庫および正倉院事務所存在する地域を除く正倉周辺地域史跡追加指定し保存万全図ろうとするものである
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