東大寺戒壇院指図とは? わかりやすく解説

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東大寺戒壇院指図

主名称: 東大寺戒壇院指図
指定番号 52
枝番 0
指定年月日 1989.06.12(平成1.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 1鋪
時代区分 室町安土桃山(後補部分)
年代
検索年代
解説文: 東大寺戒壇院は、鑑真天平勝宝六年(七五四)四月大仏殿前に戒壇設けたことに始まり、後に大仏殿の西に堂宇建立された。『東大寺要録によれば平安時代末期には金堂講堂軒廊僧坊中門食堂等が整備されていたことが知られるが、治承四年(一一八〇)に平重衡南都焼打ちによって焼失しその後栄西行勇等の勧進によって回廊中門講堂等が再建された。文安三年一四四六)にも堂舎大半焼き文亀永正年間に至るまで再建続けられたが、永禄十年一五六七)に三好松永兵乱にあって再び炎上した慶長六年(一六〇一)に成秀・順弘が仮堂を建て、千手堂坊舎造立し、さらに享保年間大規模な復興なされた現在の戒壇院その時再建されたものである
 本図は二メートル近い大きさを持つ東大寺戒壇院伽藍配置図で、料紙厚手楮紙である。完存しているが、右方三分の一は後補部分である。南を上にして、中央中門戒壇院講堂回廊三面僧坊、その右(西)に鐘楼僧堂、左(東)に経蔵長老坊を描き下端(北)に僧厠、小便所、護摩堂、小坊の一部描いている。縮尺はほぼ一〇分の一で、各建物筋をヘラ引きして墨〓【すみさし】で描いており、一部白線で墨線を訂正している。円柱方柱区別し柱間には名称と規模書入があり、「惣ノオモテノ長」「惣ノツマノヒロサ」等と総長を実長で表わし、長老坊ではこれに加えて広さを「間」で表わしている。本図右方の後補部分は作図粗雑で、建物表示方法筆跡異なっている。千手堂庫裏後長老坊、部屋土蔵南門北門描いているが、ヘラ引きはなく、縮尺異なり、各建物規模は「五間四方」等と柱間数で表示している。
 本図作図技法等よりみて室町時代中期作製になると認められ文安焼失後の再建計画とみられる。後補の部分永禄焼失後に紙を継ぎ足して描き加えたものと考えられる本図中世戒壇院の各建物の配置形態規模詳細に示し中世建築史研究の上で貴重である。
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