豆酘の赤米行事
名称: | 豆酘の赤米行事 |
ふりがな: | つつのあかごめぎょうじ |
種別1: | 風俗習慣 |
保護団体名: | 頭仲間 |
選択年月日: | 2002.02.12(平成14.02.12) |
都道府県(列記): | 長崎県 |
市区町村(列記): | 対馬市豆酘 |
代表都道府県: | 長崎県 |
備考: | 旧暦1月2・5・10・12日、新暦6月10日、旧暦10月17・18日、12月3・19・28日(12月が30日までのときは29日) |
解説文: | 豆酘の赤米行事は、長崎県下県郡厳原町豆酘に伝わる行事で、頭仲間と呼ばれる集団によつて旧暦一月二日から旧暦十二月の末に至るまでの一年間にわたり行われる、赤米を祀り栽培する行事である。 この行事が行われる豆酘は、対馬の最南端部に位置する集落で、平安期からその名前がみえ、『和名類聚鈔【わみょうるいじゅうしょう】』には対馬下県四郷の一つとして記載されている。豆酘湾は、北東には天道山【てんどうやま】とも呼ばれる竜良山【たつらやま】をひかえ、東西を神崎【こうざき】、豆酘崎に囲まれて、南西方向に広がっている。 行事を伝える頭仲間は、明治時代以前には、宮座、一の窪、仲座、ちょん座の四つの組があり、豆酘のほとんどの家が加入していたといわれている。その後、頭仲間が減り続け、昭和四十五年(一九七〇)ころには一三戸、平成十年(一九九八)までは八戸、平成十二年(二〇〇〇)には三戸になっている。 この行事は田植えを除き現在も旧暦で行われている。一年間の主な行事には一月十日の頭受【とうう】け、一月十二日の三日祝い、新暦六月十日の田植え、十月十七日のお吊り坐【ま】し、十月十八日の初穂米、十二月三日の斗瓶酒【とがめざけ】、十二月十九日の日【ひ】の酒【さけ】、十二月二十八日(十二月が三十日まであるときは二十九日)の餅搗き、一月二日の初詣り、一月五日の潮あび、家祓【やばらい】などがある。これらの行事の中でも中心となる行事は、旧暦一月十日の夜から翌朝にかけて行われる頭受けである。 頭受けは、赤米を祀る当番である頭を次の当番の家に渡す行事で、渡す側はハライトウ、受ける側はウケトウと呼ばれる。頭受け当日、ウケトウの家では座敷口に塩筒をつけた斎【い】み竹【たけ】を立てる。行事の行われる本座と呼ぶ座敷の床の間には、赤米で搗いた臼型の餅三個とトコブシを盛りつけた松竹梅の島台を飾る。天井の赤米を吊す金具にはツリマシナワがかけられ、本座には女性はいっさい入れなくなる。 ハライトウの家では、赤米の俵を吊していた座敷の床の間に、島台、蓑、笠、ユリの中に入れた赤米の餅、濁り酒、丸大根を飾る。ここで、オテイボウ、モリマシ、トモ、ショウバン、ウタクチなどの各役が揃うと酒宴が始まる。しばらくするとウケトウの家から裃をつけた使いが到着し、この使いに俵を受け渡す時間が告げられる。この後、各役の者は一度家に引き返し、夜中の一時前に再び集まる。酒宴の後、モリマシが赤米の入った俵の下に入り、天井からはずされた俵を背負うと、ハライトウを先頭にトモとともにウケトウに向かい、縁側から本座に入る。 ウケトウの家では、モリマシがツリマシナワで本座の天井に俵を吊し、塩筒で清める。送ってきた人たちとウケトウ側のオテイボウ、ショウバンが座り、甘酒や一二通りの料理などが出され、酒宴が始まる。酒宴の最後にサンガワリと呼ばれる儀礼が行われた後、ウケトウが本座の床の前にハライトウに相対して座り、ウケトリワタシが行われる。明け方近くに食膳が出てウケトリワタシが済む。ハライトウたちは縁側から出て、庭の門松を引き抜いて途中まで持ち帰る。外が明るくなりだしたころになるとウケトウはハライトウの家から運ばれてきた赤米の餅と、鍬を持って赤米田に行き、水口【みなくち】に埋めてくる。これで頭受けの行事が終了する。 頭受けの際のトモ、ツカイなどは、本来頭仲間が務めるものであったが、現在では頭仲間が三戸しかないため、頭の親戚や知り合いなどが務めている。 こうして天井に吊した赤米は、新暦六月十日の田植えの一か月ほど前に下ろして種籾とする。田植えには頭仲間の家から男女一人ずつが出て、水口にカヤとヨモギを立て酒や赤米などを供え、赤米田に田植えをする。この赤米を収穫すると新しい俵に入れて本座の天井に吊すお吊り坐しの行事をして、翌年の頭受けまで祀る。この後も、赤米を氏神に供える初穂米、赤米で作った若酒【わかさけ】を氏神へお供えする斗瓶酒、成酒【せいしゅ】を供える日の酒、赤米で臼型の餅を搗く餅搗き、氏神への初詣りなどの行事が行われる。 この行事は、伝統的な祭祀形態を残すものとして注目されるものである。 |
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