おかだいらかいづかとは? わかりやすく解説

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陸平貝塚

名称: 陸平貝塚
ふりがな おかだいらかいづか
種別 史跡
種別2:
都道府県 茨城県
市区町村 稲敷郡美浦村
管理団体
指定年月日 1998.09.11(平成10.09.11)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 陸平貝塚は,茨城県南部霞ヶ浦南岸中央部にある縄文時代早期晩期にわたる大規模な馬蹄形貝塚である。明治12年エドワード・S・モース薫陶受けた佐々木二郎飯島魁らの,日本人の手による初めての発掘調査が行われた遺跡として名高い
遺跡は,縄文海進時に霞ヶ浦に浮かぶ島であった周囲約7.5血の馬掛台地中央樹枝状た入り込む谷頭囲まれ南北150m東西250m,標高27mの舌状呈する台地上にある貝塚合わせて8・箇所確認され台地の西縁,北縁,南縁には長さ100~130m,幅50~70mの大型のA,B,D貝塚が,D貝塚挟んだ東西には径50m前後のC,F貝塚がある。また,F貝塚南側及び台地未練む羊は径15~2伽nの小規模のE,G,Ⅰ貝塚位置している。
台地上は概ね広い平坦となっているが,部分により微地形変化認められる
小規模のF,G,Ⅰ貝劇こ囲まれた台東部,、およそ3dmx40mの範囲は,上面緩やかに盛り上がった自然地形留めている。対して大型のA,B,D貝塚囲まれ台地西部平坦であり,A貝塚内側接して盛土状の高まり認められる
それぞれの貝塚間,また貝塚構成する貝層間Ⅰ縄文時代早期から晩期の各期にわたる時期差がある。早期から前期にかけて台地東部中心として小規模貝塚作られはじめ その後中期から後期にかけて西部居住域墓域を伴う大規模な貝塚作られ遺跡全体形成されていたことが,貝塚試掘調査によって明らかになっている。
遺物中期から後期中心とした時期土器及び土偶耳飾り等の土製晶,石器骨角器,貝製品(貝翰)が出土している。貝類は,ハマグリ主体とし,シオフキ,サルボウ,ハイガイマガキアカニシなどの内湾生息環境を示す種類検出されている。ほかにクロダイスズキフグなどの魚類シカイノシシウサギなどの噴乳類も出土している。
陸平貝塚のある霞ケ浦沿岸及び隣接する北浦沿岸は,東京湾沿岸に次ぐ約180箇所もの甲貝塚密集地帯である。陸平貝塚はその貝塚群の中にあっても,規模営まれ時期長さにおいて代表的なものである。また,現在に至るまで遺跡内での大規模な開発工事行われておらず,貝塚保存状況周囲自然景観含めて良好である。
集落の変遷過程良く示され遺跡であり、さらに学史意義大きい。よって,史跡指定し保存図ろうとするものである
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