七代目市川団十郎
江戸後期の歌舞伎役者。初名新之助・団十郎改め海老蔵。俳名三升・白猿。童名小玉。別号夜雨庵・寿海老人・二九亭。五代目白猿(五代団十郎)の外孫。後期江戸歌舞伎の中心的存在で当たり役も多く、また「歌舞伎十八番」を制定した。一方狂歌・俳諧を能くし、文筆の才もあり、著書に『遠く見ます』等がある。安政6年(1859)歿、69才。
九代目市川団十郎
幕末・明治の歌舞伎俳優。江戸生。本名堀越薫のち秀、初名河原崎長十郎、前名権十郎、権之助、俳名紫扇・三升・団洲等。七代目の五男。市村座座頭・河原崎座座主・新富座座頭・歌舞伎座主将を務める。あらゆる役をこなしたが時代物を得意とし、自ら創始した活歴劇・腹芸はいまなお手本とされ、不世出の天才と称された。また文筆・絵を能くし、釣・骨董を好んだ。当り役は弁慶・道成寺等。明治36年(1903)歿、66才。
二代目市川団十郎
江戸中期の歌舞伎俳優。江戸生。初名九蔵、前名海老蔵、俳名は三升・才牛・栢莚。初代の子。荒事のみでなく和事にも優れ無類上上告に位付けられる。当り役は「鳴神」の鳴神上人等。宝暦7年(1757)歿、71才。
五代目市川団十郎
江戸中・後期の歌舞伎俳優。江戸生。四代目団十郎の子。幼名梅丸、初名松本幸蔵、前名松本幸四郎(三代)、後名市川鰕蔵、別名成田屋七左衛門。俳号は梅童・男女川・三升・白猿・反古庵、狂号は花道のつらね。屋号成田屋。家芸を能くしたが、若衆方・実悪・女形にまで及び、ぬれ場・やつし・武道等を得意とした。また文筆の才もあり、俳句・狂歌を能くし、立川焉馬とも交流があった。文化3年(1806)歿、66才。
初代市川団十郎
江戸前期の歌舞伎俳優。江戸生。市川宗家。初名海老蔵、前名団十郎、俳名才牛、作者名三升屋兵庫、屋号は成田屋。『四天王稚立』の坂田金時で荒事芸を創始、認められ、以後、金平浄瑠璃を応用工夫した荒事で名を高めたが、生島半六に刺され死去。著書に『参会名古屋』『源平雷伝説』等がある。宝永元年(1704)歿、45才。
十代目市川団十郎
歌舞伎俳優。東京生。本名は堀越福三郎、屋号は成田屋。九世団十郎の女婿で、岳父歿後俳優となった。歌舞伎十八番の廃曲数種を復活創作した。書画・俳句等を能くする。昭和31年(1956)歿、73才。
市川団十郎(八代目)
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