『サンゲ・サブール ― 忍耐の石』
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「アティーク・ラヒーミー」の記事における「『サンゲ・サブール ― 忍耐の石』」の解説
第二作『数千の夢と恐怖の家』と第三作『空想的回帰』はいずれもパシュトー語で執筆され、それぞれ2002年と2005年にフランス語版が出版された。2008年に発表された『サンゲ・サブール ― 忍耐の石』は、ラヒーミーが初めて最初からフランス語で執筆した作品であり、同年、ゴンクール賞を受賞した。さらに、2013年に映画化され(ゴルシフテ・ファラハニ主演)、同年のサン=ジャン=ド=リュズ国際映画祭(フランス語版)で最優秀作品賞と監督賞を受賞したほか、フランス各地で行われた複数の映画祭でノミネートされた。 「サンゲ・サブール」はペルシア語で「忍耐の石」を表わす。ペルシアの神話では、この黒い石に向かって他人に言えない苦しみや悲しみを打ち明けると、石はこれに忍耐強く耳を傾け、その言葉や秘密を吸い取ってくれる、そして、この石がある日、粉々に打ち砕ける、その瞬間、語り手は苦しみから解放されるという。小説『サンゲ・サブール』では、戦場での乱闘で撃たれ、植物状態となって戻った男に対して、女がこれまで耐え忍んできた苦しみや恨みを次々とぶつける。身内や本人の残虐行為、裏切り、欲望、不義、強姦と、その語りはあまりにも露骨で、グロテスクであり、語る女自身がやがて半狂乱に陥っていく。 この作品には、「夫に惨殺されたアフガン女性詩人N. Aの思い出のために書かれたこの物語をM. Dに捧げる」、アントナン・アルトーの言葉「身体から、身体を通して、身体とともに、身体に始まり、身体に終わる」、そして「アフガニスタンのどこか、または別のどこかで」という3つのエピグラフがある。「夫に惨殺されたアフガン女性詩人N. A」とは25歳のアフガニスタンの女性詩人ナディア・アンジュマンのことであり、ラヒーミーは2005年11月1日に韓国の映画祭に招かれたときにこの知らせを受け、3週間後にアフガニスタンで調査を開始した。血管にガソリンを注入して自殺を図った夫に刑務所病院で会ったとき、「私が女性だったら、この男の傍にずっといて、この男に何もかもぶつけただろう」と思った、そしてこれが『サンゲ・サブール』を書くきっかけになったという。ヌーヴェルヴァーグの映画作家の「精神的父親」として知られる映画批評家アンドレ・バザンの「映画は世界に開かれた窓であり、我々のまなざしの代わりである」という言葉に映画制作の方向性を見出したというラヒーミーは、「アフガン文化においては、主体は存在しない、見る者は存在しない、まなざしは存在しない。見る者の意識が存在しないからである」とし、『サンゲ・サブール』では、主体としての女性、身体としての女性、見る者としての女性、そして女性の「まなざし」を通して見る世界を描こうとしたという。 アフガンの女性は抑圧されていると言われる。確かに社会から咎められたり禁止を受けたりしているが、他の女性と同様に1つの身体であり、この身体には欲望があり、夢があり、幻想がある。(中略)外の世界でブルカを着ている女性はシルエットにすぎず、他の女性と区別がつかないが、内の世界ではブルカを脱ぎ、そして自由に語るのだ。 ラヒーミーはまた、フランス語で書いた理由について、母国語では「口にすべきではない言葉を内在化し、無意識のうちにそういった言葉を口にするのを自らに禁じてしまう」、すなわち、自己検閲してしまうのに対して、フランス語なら「登場人物の内面に入っていくことができるし、身体について語ることができる」、母国語以外の言葉で書くのは解放であり、喜びであると説明している。
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