「ギリシャ牧野」時代
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1929年(昭和4年)1月、「熱い風」を雑誌『新潮』に発表。5月、「円卓子での話」を雑誌『新潮』に発表。6月、「山彦の街」を雑誌『文藝春秋』に発表。8月、「駈ける朝」を雑誌『新潮』に発表。12月、『牧野信一集』(『瀧井孝作集』と一冊の「新進傑作小説全集」)が平凡社より刊行される。作家としての絶頂期を迎えつつあり、中堅作家としての地位を獲得する。この年、足柄上郡山田村の村長・瀬戸佐太郎と知り合う。その周辺を背景とした田園叙事詩的作風が漸次あらわれようになる。 1930年(昭和5年)1月、「ラガド大学参観記」を雑誌『文藝春秋』に発表。3月、「吊籠と月光」を雑誌『新潮』に発表。ゲーテの『ファウスト』の影響などが見受けられる。4月、単身上京。豊多摩郡中野町大字中野(現:中野区中央三・四丁目)の義弟・浅尾辰雄方に寄宿し、のち東京市麹町区五番町(現:千代田区一番町)の松栄館に下宿。雑誌『作品』の創刊準備に関わる。井伏鱒二、小林秀雄、河上徹太郎らと知り合う。5月、「アウエルバッハの歌」を雑誌『作品』創刊号に発表。6月、「西部劇通信」を雑誌『作品』に発表。7月、「歌える日まで」を雑誌『文藝春秋』に発表。「くもり日つづき」を雑誌『作品』に発表。8月、「R漁場と都の酒場で」を雑誌『経済往来』に発表。9月、尾崎士郎の勧めで、荏原郡大森町大字新井宿字山王(現:大田区山王)に転居。妻子を呼び寄せる。10月、「変装綺譚」を雑誌『新潮』に発表。11月、単行本『西部劇通信』を春陽堂より刊行する。 1931年(昭和6年)1月、東京市芝区三田南寺町(現:港区三田四丁目)に転居。いわゆる魚籃坂時代が始まる。2月、「痴酔記」を雑誌『文藝春秋』に発表。5月、「南風譜」を雑誌『婦人サロン』に発表。7月、「『風博士』」を雑誌『文藝春秋』巻末折込みの「別冊文壇ユウモア」に発表し、先月同人雑誌『青い馬』に掲載された坂口安吾の「風博士」を激賞する。10月、「ゼーロン」を雑誌『改造』に発表。「夜の奇蹟」を雑誌『オール讀物』に発表。春陽堂より雑誌『文科』を創刊(主宰。翌年3月まで4輯を編む)。「心象風景」を雑誌『文科』に連載(翌年3月まで4回)。『牧野信一集』(『細田民樹・細田源吉・下村千秋集』と一冊、「明治大正昭和文学全集」)が春陽堂より刊行される。11月、小林秀雄との共訳でポーの「ユレカ」を雑誌『文科』に連載(12月まで)。12月、「バランダ物語」を雑誌『中央公論』に発表。この頃の2、3年が牧野にとって最も“得意な時代”であった。これは実家の経済的没落をきっかけに野外へ出たことで、ただの身辺雑記だけを綴る繰り返しから解放されたことが大きいとされている。
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