「ギリシア神話」と「軍隊」の例示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 18:33 UTC 版)
「饗宴 (クセノポン)」の記事における「「ギリシア神話」と「軍隊」の例示」の解説
続いてソクラテスは、神々や半神たちも、「肉体への愛」より「魂への愛」を重んじていることを示したいと、 ゼウスは、その姿形ゆえに愛した人間の女たちは死すべき状態のままにしたが、ディオスクーロイやガニュメーデースのように、その善い魂に感心した者は不死なる者にした。 アキレウスは、パトロクロスを男色の相手ではなく友人として考え、死んだ彼の仇をきわめて目立つやり方で討った(と、ホメロスによって描かれている)。 オレステースとピュラデース(英語版)、テーセウスとペイリトゥース、その他多くの優れた半神たちも、寝床を共にするからではなく、互いに感心し合うから、立派な事柄を一緒にやり遂げられた(と、讃歌の中で称えられている)。 といった話を付け加える。 そしてソクラテスは、「今日の立派な行いは全て、名声より快楽を選ぶような人々ではなく、賞賛のために喜んで苦労・危険を負う人々によって、成されているのではないか」と主張しつつ、しかし悲劇詩人アガトーンの年長愛者(エラステース)であるパウサニアスは、放縦にふける人々を弁護して、 「軍隊も、(肉体関係で結びついた)年長愛者(エラステース)と愛童(パイディカ)が一緒に配置される格好で構成されれば、最も勇敢なものになるだろう」 と主張し、さらにアテーナイと同じような少年愛が行われているテーバイやエーリスの人々も同じ考えであるとして自説を正当化していると、批判する。 パウサニアスは、「テーバイやエーリスでは、戦いにおいて、年長愛者(エラステース)が寝床を共にする愛童(パイディカ)をそばに配置する」と言ったが、これは彼らの慣習であり、「年長愛者(エラステース)から離されると(監視の目が無いと)、愛童(パイディカ)が善い行いを果たさないのではないかと、疑っているからではないか」と、ソクラテスは指摘する。 それに対して、「ラケダイモーン(スパルタ)の人々は、愛童(パイディカ)が外国人と一緒に置かれ、年長愛者(エラステース)と一緒に置かれなくても、そばにいる者を見捨てることを恥じるように、彼らを教育する」と、ソクラテスは指摘する。 そしてソクラテスは、「自分の財産・子供・恩恵を託するには、どちらの愛童(パイディカ)を選べばいいか」を考えれば、皆同じ意見になる(すなわち、ラケダイモーン(スパルタ)の側を選ぶ)ことになるだろうと、指摘する。
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