水鏡
*関連項目→〔鏡〕
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)133「肉を運ぶ犬」 犬が肉をくわえて川を渡る。水に映る自分の影を見て、別の犬がもっと大きな肉をくわえているのだと思い、それを奪おうとほえかかる。水の中には肉がないので得られず、自分のくわえていた肉も川に流される。
『カター・サリット・サーガラ』「ムリガーンカダッタ王子の物語」4・挿話4のD 愚かな鸚鵡が妻を亡くして悲しんでいるので、鸚鵡の王が彼を沼に連れて行く。愚かな鸚鵡は水に映る自分を見て、「妻だ」と思い喜ぶが、抱擁できないので、そのことを鸚鵡王に訴える。鸚鵡王は、愚かな鸚鵡と並んで沼に姿を映し、「汝の妻は、別の雄鸚鵡と仲良くなったので、汝の愛を退けたのだ」と教える。愚かな鸚鵡は水に映る自分たちの影を、「妻と雄鸚鵡だ」と思い、妻への執着を捨てる。
『水乞い鳥』(昔話) 馬喰(ばくろう)の妻が、川へ水汲みに行くのを面倒がって、厩の馬たちに水を与えなかった。その罰で、妻は死後、赤い鳥に生まれ変わった。鳥が谷川で水を飲もうとすると、水面に体の赤色が映って火のように見えるので、こわくて飲めない。鳥はいつも喉がかわき、天にむかって雨を請う(山梨県西八代郡上九一色村)。
*獅子王が、水に映る自分の姿を見て、こだまする自分の声を聞く→〔こだま〕1の『パンチャタントラ』第1巻第8話。
『変身物語』(オヴィディウス)巻3 美少年ナルキッソスは、泉の水に映る自分の姿に恋いこがれ、その場から立ち去ることもできず死んでいき、水仙の花と化した。彼は下界へ迎えられてからも、冥府の河に映る自分の姿を見つめていた。
★1c.泉を見る美少年の瞳に映る泉。
『弟子』(ワイルド) ナルキッソスは、いつも泉の水に自分の美しさを映していた。ナルキッソスの死後、泉は、山の精たちに語った。「ナルキッソスがわたし(=泉)を見下ろす時、わたしは彼の目の鏡に、いつもわたし自身の美しさが映っているのを見た」。
『大和物語』第155段 内舎人が大納言の娘をぬすみ出し、陸奥の安積山まで連れて来る。何年かの後、女は山の井に映る変わりはてた我が姿を恥ずかしく思い「安積山かげさへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは」と詠んで死んだ〔*『今昔物語集』巻30-8に類話〕。
*女が自分を水に映して、そこに夫の面影を見る→〔男装〕7の『井筒』(能)。
*女が自分を水に映して、そこに犬頭人身の姿を見る→〔犬〕8aの『南総里見八犬伝』第2輯巻之1第12回。
『カター・サリット・サーガラ』「愚者物語」第34話 樹にとまった金冠鳥の金色が池水に映り、それを見た若者が、「黄金がある」と思って池の中に入る。しかし水が動くと黄金は見えなくなり、取ることができない。父親が息子の愚行を見て、金冠鳥を追い払い、息子を家に連れ帰る。
『太平記』巻25「伊勢より宝剣を奉る事」 スサノヲノミコトは、槽の上の棚に稲田姫を置いて、ヤマタノヲロチを待つ。姫の影が酒に映るのを見たヲロチは、槽の中に姫がいるものと思い、8千石湛えた酒を飲み尽くす〔*類話は中世の諸書に見られる。覚一本系『平家物語』巻11「剣」の類話では、稲田姫をゆつ爪櫛に取りなして隠し、美女の姿を作って高い岡に立てた、と記す〕。
*8つの槽に8人の美女→〔八人・八体〕2bの『源平盛衰記』巻44「三種の宝剣の事」。
『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)第7章「最初に女がいなかった場合」 ある日、何人かの男が、水に映る女の姿を見た(*→〔妊娠〕4)。女は水辺の高い木の枝に座っていたのだが、男たちは、水の中に女がいると思い、つかまえようとした。彼らは2日間がんばったが、捉えることができない。1人の男が、たまたま上を見て、女が木の枝にいるのを知った。男たちは女を木から下ろし、自分のものにしようと互いに争った(ブラジル、シェレンテ族)→〔寸断〕5。
★2c.酒に映る縄や弓を、蛇だと思う。
『鳴神』 雲絶間姫が鳴神上人を誘惑して酒を飲ませるが、盃の中に蛇がいるので姫は怖がる。「それは雨封じの注連縄(しめなわ)が映っているのだ」と上人は言い、「注連縄を切れば、龍神が飛び去って大雨になる」と教える。姫は上人を酔わせ眠らせて、注連縄を懐剣で切る。
『蒙求』123所引『晋書』「楽広伝」 楽広に招かれた客が酒を飲もうとすると、盃の中に蛇が見える。それは壁にかかった漆塗りの弓が映ったのだが、客は気づかず我慢して酒を飲み、病気になった。
*これらは、→〔蛇〕2の酒が蛇に変わる物語の変型、と見ることができる。
『宝物集』(七巻本)巻5 天竺の物語。長者である夫が、蔵で酒を造っていた。妻が酒の瓶(かめ)を見ると美女の姿が映るので、「夫はここに愛人を隠していたのだ」と思い、恨みごとを言う。夫が瓶を見ると立派な男の姿が映るので、「妻こそ愛人を隠しているのだ」と思い、妻を離縁しようとする。1人の羅漢が来て、夫妻の前で瓶を割り、愛人などどこにもいないことを示す。酒は、まだ飲まないうちから凶をなすものである。
*夫妻が鏡を見て、自分の姿だと気づかない→〔鏡〕1cの『農夫と女房と鏡』(イギリスの民話)・『松山鏡』(落語)。
『古今著聞集』巻7「術道」第9・通巻297話 九条大相国伊通がまだ位の低かった時、后町の井の底をのぞいて、丞相(=大臣)たるべき相を見た。しかし、鏡で間近に見るとその相はなかった。「近くには見えず、井の底のような遠いところに見えるのは、すぐに丞相になるのではなく、長年の後になるのだろう」と彼は考えた〔*伊通は64歳で内大臣になり、その後、右大臣・左大臣を経て、68歳で太政大臣になった〕。
『平治物語』上「信西出家の由来」 信西入道が、まだ日向守通憲といっていた頃。鬢(びん)の毛をなでつける折に、水に映る自分の顔を見ると、「喉笛1寸の所が剣先にかかって死ぬ」との面像が現れた。その後、熊野へ参詣した時に出会った人相見からも、同じことを言われた。信西は恐れ、この運命から逃れようと出家した。
未来の夫(日本の現代伝説『走るお婆さん』) 午前0時0分0秒に剃刀を口にくわえ、水を入れた洗面器をのぞくと、将来の結婚相手の顔が映る。A子さんが試してみると、本当に誰かの顔が見えてきたので、驚いて剃刀を落とし、水が血の色に染まった。数年後、A子さんは1人の男と結婚することになった。彼は顔の左半分を髪で隠し、「昔、ある人にひどく傷つけられたので、見せられない」と言う。A子さんが「誰に?」と聞くと、男は「お前にやられたんだ!」。
*将来の夫の姿が、鏡に映る→〔鏡〕3の『草迷宮』(泉鏡花)・〔合わせ鏡〕1の『戦争と平和』(トルストイ)第2部第4篇。
*男が、将来自分の妻となるはずの女児を襲い、顔や頸を傷つける→〔運命〕1bの『今昔物語集』巻31-3・『続玄怪録』。
『雀の媒酌』(川端康成) 親戚から勧められた娘と結婚すべきかどうか、彼は迷う。彼は泉水に、「もしも自分の妻となる運命の女が他にいるなら、その顔を映して見せてくれ」と頼む。すると1羽の雀が水に映り、「来世の妻の姿を見せてあげます」と告げる。彼は「来世は雀に生まれ、この雀を妻とするのか」と悟り、「来世の運命を見た者が現世で迷うまでもない。勧められた娘と結婚しよう」と決心する。
*鏡に牛や馬、鳥や獣(来世の自分)が映る→〔転生(動物への)〕4bの『キリシタン伝説百話』(谷真介)73「三世鏡」。
『高岳親王航海記』(澁澤龍彦)「鏡湖」 高岳親王が南詔国の湖を舟で渡る時、鏡のように澄んだ水面をのぞいてみた。すると、自分の顔が映らない。湖水に顔の映らぬものは、1年以内に死ぬという。数日後、南詔国の王城で親王は、合わせ鏡の間に身を置く。やはり顔は映らない。すでに親王の影(=魂)は失われていたのだ→〔虎〕5。
茨木童子の伝説 血をなめる嗜好を持つ茨木童子は、自分でもそれを異常に思った。ある日、橋上から小川の水に映る顔を見ると、鬼の形相をしていたので、茨木童子は人間世界での生活をあきらめ、大江山の酒呑童子の配下になった(大阪府茨木市新庄町)。
『戻り橋』 月の夜、渡辺綱が一条戻り橋に来かかって、1人歩きの美女と出会う。美女が「五条まで参りたいが、夜道が怖い」と言うので、渡辺綱は彼女を送って行く。しかし川面に映るその姿は、怪しい鬼形(きぎょう)であった。美女は「我は愛宕の山奥に棲む悪鬼である」と正体を現し、渡辺綱と闘うが、片腕を斬り落とされて逃げ去る。
『天道さん金ん綱』(昔話) 山姥に追われた子供たちが木の上に登る。井戸の水にその姿が映るので、山姥は子供たちの居所を知る→〔デウス・エクス・マキナ〕1。
『俊頼髄脳』 野守の翁が、頭を地につけ余所を見ないまま、失せた鷹が松の上枝にいることを天智天皇に教える。不思議がる天皇に、翁は「芝の上にたまる水を鏡として自らの頭の雪を悟り、顔のしわを数えている。その水鏡を見て鷹の木居を知った」と答える。
『ペンタメローネ』(バジーレ)第5日第9話 シトロンから生まれ出た美女が、泉のほとりの木に登る。水汲みに来た黒人の奴隷女が、泉に映る美女を見て自分の姿だと思い、「こんな美女が奴隷でいる必要はない」と考えて女主人に反抗し、打たれる。
『宝物集』(七巻本)巻6 天竺では、死者の遺体を木の上に置く慣わしがあった。長者に仕える醜い下女が池へ来て、樹上の美女の死体が水面に映るのを、自分の姿だと誤認する。下女は「私の美しさは、長者様の妻子に劣らない」と思い、長者の家へ行って、妻子と同じ所に座を占めた。長者は下女を池へ連れて行き、死者の遺体を取り除けて、下女の真の姿を水に映して見せた〔*下女はこれによって、諸法の空なることを知ったという〕。
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