6 - 8歳(1980 - 82年)
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「シービークロス」の記事における「6 - 8歳(1980 - 82年)」の解説
翌年2月から調教を再開。4月に中山開催のオープン競走で復帰(3着)したのち西下し、天皇賞(春)に出走。当年は例年開催の京都競馬場が改修工事中のため、直線が短い阪神競馬場での開催となったが、シービークロスは1番人気の支持を受けた。最後方追走から、吉永は周回2周目の第3コーナーより進出を図ったがシービークロスは反応しなかった。最終第4コーナーでようやく反応すると直線では一気の追い込みを見せたが、2~5着が横並びとなった一団に混じってのゴールとなり、勝ったニチドウタローから1馬身半、アタマ、クビ差の4着に終わった。競走後には「京都競馬場なら勝っていた」という声があった一方、後方待機一辺倒の吉永の騎乗について批判的な声も上がった。 競走後、繋靱帯炎の再発のため休養に入り、秋に復帰。オープン競走4着を経て天皇賞(秋)に臨んだが、11頭立ての最下位に沈み、さらに繋靱帯炎の再々発で長期休養に入った。1年5カ月を経て8歳となったシービークロスはオープン競走に出走。6番人気の評価であったが、当年秋に福島記念を勝つネオキーストン以下を差し切り、復帰戦を勝利で飾った。 その後は日経賞への出走を予定していたが、競走当日に三度の繋靱帯炎再発に見舞われて出走を取り消し、これを最後として競走生活から退いた。翌1983年1月16日、中山競馬場において松山厩舎の僚馬モンテプリンスと合同での引退式が行われ、スタンド前で併せ馬を披露した。
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