歴代総理一覧 |
中曽根康弘
| 総理在職期間 | ||
| [第1次] | 昭57.11.27~昭58.12.27 | 396日 |
| [第2次] | 昭58.12.27~昭61. 7.22 | 939日 |
| [第3次] | 昭61. 7.22~昭62.11. 6 | 473日 |
| 在職通算日数 | 1,806日 | |
| 総理就任時年齢:64歳・65歳・68歳 | ||
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中曽根康弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/25 11:32 UTC 版)
中曽根 康弘(なかそね やすひろ、1918年(大正7年)5月27日 - )は、日本の政治家。
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- ^ 実際は178cmを公称していたものの、過去に中曽根自身が身長の事に話が及んだ際に、「外交上、大きく見せなければならない」と発言した為、明言こそしなかったものの、ある程度身長をサバ読んでいるものと思われる。
- ^ 『新総理 中曾根康弘の研究』139頁
- ^ 尚、後に中曽根政権で官房長官に迎えた後藤田正晴は内務官僚としての先輩に当たる。
- ^ a b 中曾根康弘『自省録-歴史法廷の被告として-』(新潮社 2004年6月) ISBN:4-10-468701-4
- ^ これはのち安倍晋三に、「戦後レジームからの脱却」、「美しい国」志向として引き継がれる。
- ^ 二階堂はロッキード事件との関与が濃いとされながらも訴追されなかった「灰色高官」の一人とされ、金権政治批判を受けやすい立場にあった。
- ^ 衆議院総選挙での公認候補300議席は自民党史上最多。これに追加公認4人、さらに開票直後に解党した新自由クラブからの合流5人などが加わった。参議院通常選挙での72人当選(追加公認2人)、非改選議員と合わせた所属議員数145人も同党史上最多である。
- ^ 所得税や法人税などの直接税と比較すると酒税・たばこ税・揮発油税などの間接税の税収額が低いため、大型消費税の導入と所得税・法人税の減税などを組み合わせて直接税と間接税の税収額を同じにしようという政策。
- ^ 佐藤誠三郎の妻の佐藤欣子は1989年の第15回参議院議員通常選挙で中曽根派の支援を受けて自民党から立候補したが、落選した。
- ^ ただし、これは地価高騰抑制などの理由により、当初の債務返済計画通りには進まなかった。詳しくは該当項目参照の事。
- ^ 一方で、「総理就任時、日米関係は最悪と呼べる状態だった」「自分(中曽根)が外交関係を改善した」という認識を強く持ち、公式発言でも度々重ねたことが、鈴木善幸を始めとする宏池会の逆鱗に触れ、(鈴木内閣と鈴木善幸本人への非難・皮肉とも受け取れた)二階堂擁立構想を生む原因となる。
- ^ これ以後、日本国内閣総理大臣から、“アメリカ大統領と、名前で呼び合う親密な関係”を築く事が流行した。後任・竹下登の「ロン・ノブ」、ブッシュと小泉純一郎の「ジョージ・ジュン」など
- ^ ドン・オーバードーファー「ナカソネは『不沈空母』とは言わなかった---ワシントン・ポスト外交記者を辞めるに当たって」『THIS IS 読売』1993年8月号
- ^ 旧海軍時代に慰安所つくった記憶ない(Bloomberg.co.jp)
- ^ 慰安婦:中曽根元首相、強制動員を否認(Chosun Online 『朝鮮日報』)
- ^ 自著『二十三歳で三千人の総指揮官』、関連書『終わりなき海軍』松浦敬紀著、『いま明かす戦後秘史に詳しい』鹿内信隆著
- ^ サッチャーの愛国心はかなりのもので、トルコのダーダネルス海峡に架ける橋の工事を日本企業が請け負った際には、サミットの開会前に中曾根の元に来て、英国の勢力圏の仕事を日本が持っていくのはひどいと抗議している。
- ^ 中曽根首相は1983年1月、韓国を訪れた。日程を順調に消化し、最大のヤマ場となる大統領官邸の大広間での晩餐会が始まった。大勢の来賓が招かれたなか、全斗煥大統領の歓迎スピーチが終わり、次は中曽根首相の挨拶になった。来賓は、中曽根首相が日本の韓国統治についてどういう言葉で謝罪するのかに注目し、会場は水を打ったように静まり返った。首相はポケットから挨拶文を取り出し、ゆっくりと広げた。「ヨロブン、アンニョン ハシムニカ(ご来賓の皆さん、今晩は)・・・」会場は大きくどよめいたという。スピーチの中ほどで日本語になり、韓国語の通訳が入った。そして最後。「オヌルン、テダニ カムサハムニダ(本日は誠にありがとうございました)」会場は割れんばかりの拍手に包まれたという。帰国後、中曽根首相は「隣に座っていた全斗煥大統領は涙を浮かべていた」と語ったという。客席の中にもハンカチで涙を拭いていた人もいたようだ。中曽根首相の謝罪の言葉は脇に押しのけられた格好になった。(町田貢 『日韓インテリジェンス戦争』 文藝春秋 2011年)
- ^ フジテレビ系列「平成日本のよふけ」
- ^ 第123回国会 参議院 予算委員会 第3号 平成4年(1992年)4月8日
- ^ 有田芳生 『「神の国」の崩壊 統一教会報道全記録』 教育史料出版会 1997年
- ^ 光文社 『FLASH』 2006年7月4日号
- ^ 「報道2001」において中曾根が語る先見性を予言者ノストラダムスに見立てて名づけられた。
- ^ 「めちゃ×2イケてるッ!」のコーナー「フジTV警察24時」でもフジテレビの二世社員として紹介され、目の前で本庁からの助っ人だったはなわに“中曽根の孫もフジ、オンエアできるのか?”と歌われた。また、インディーズのお笑い芸人としても活躍している
- ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』169頁
- ^ 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)ア九二頁より
[続きの解説]
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