『源平盛衰記』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:09 UTC 版)
「林家三平 (初代)」の記事における「『源平盛衰記』」の解説
『源平盛衰記』は講談で知られた軍記で、父正蔵が落語に取り入れた。取り入れた、とはいえ大胆な改作で、何しろ常盤御前がカフェー(現在のカフェとは意味が異なる)の女給として接待をするというもの。時代を現代(といっても昭和初期)に合わせ、昭和初期の風俗(円タク、コーヒー、カツレツなど洋食)を描き切るというものだった。これら流行の最先端にいた人は軍記とのギャップが可笑しさとなり、和服で昔ながらの生活をしていた人(当時そういう人はかなりいた)には(その人にとって)未知の未来構図を垣間見ることが出来るという、かなり秀逸なものだった。 三平は父の芸を受け継いだが、父のギャグを部分的に取り入れるも、出てきた内容はいつもと同じで小話の羅列である。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」「驕る平家は久しからず」と口上を一通り述べた後は、「平家物語のこの難解な文章がスラスラッと喋れるあたり、三平もあんまりバカではありません。もう大変なんすから、奥さん聞いてください…」から始まる小噺やギャグが延々と続き、話が展開しない、漫談風落語であった。 なお義経のひよどり越えを「日傭取り越え」(費用取り越えではない・日雇取り、とは日雇い労働のことである)のギャグは父正蔵が始めたもの。また、後年の三平のアコーディオン落語と同じく、父正蔵も洋楽バンドによるバックミュージックをつけていた。もっともこれを最初にやったのは、父正蔵の弟弟子柳家金語楼の「ジャズ落語」である。 三平以外に源平盛衰記を演じたのは7代目立川談志等がおり、三平から噺を教わった談志が噺を大幅に作り替え、全編を社会風刺として演じている。これはこれで一つのスタイルであり、現代ではこちらの方が主流になっている。
※この「『源平盛衰記』」の解説は、「林家三平 (初代)」の解説の一部です。
「『源平盛衰記』」を含む「林家三平 (初代)」の記事については、「林家三平 (初代)」の概要を参照ください。
- 『源平盛衰記』のページへのリンク