日本の首都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 09:08 UTC 版)
東京奠都
明治初年に京都から大坂のち江戸への遷都計画が立案されたが、公卿や保守派、京都市民などから反対の声が挙がった。また戊辰戦争がいまだ継続されている中、維新直後の混乱した政情のもと、政府内外での各藩閥や派閥による意思決定過程に不満をもつ不平分子がこの課題を政治問題化し、とくに久留米や肥後の尊攘派や脱藩浮浪が一部公卿と結びつき(この動きは後に知られる佐賀の乱や神風連の乱など九州・山口を舞台とする士族反乱に発展する)、明治新政府による天皇行幸(東行)すら新政府中枢による政治の壟断として反論が噴出する状態であった。この経緯があり、天皇の東行は遷都として公表されるわけではなく、より慎重な表現と手続きにより実施されることとなった。
文部省が1941年(昭和16年)に発行した『維新史』では天皇のこの東行を遷都(せんと)ではなく「東京奠都(てんと)」と表現している[34]。奠(てん)は「定める」「祭る」意味を表わしており、遷(せん)「移す」「移る」とは異なる意味を表現している。「奠都」については1895年に行われた「平安奠都千百年紀念祭」のように使用される言葉である[35]。
大王宮・皇居所在地の変遷
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2014年10月) |
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
以下の表について、古代については記紀の記述によるものであり、その実在や所在が考古学的に特定されていないものを含む。一般の遷都論においては第33代推古天皇の代以降から語られることが多い(通説)[36]。
名称 | 現在の地名 | 在住期間 | 主な天皇 | 副都、その他 | |
---|---|---|---|---|---|
軽島豊明宮 | 奈良県橿原市大軽町 | 390年 - 430年 | 応神天皇 | 難波大隅宮(大阪市東淀川区大隅) | |
難波高津宮 | 大阪府大阪市 | 430年? - 456年? | 仁徳天皇 | ||
泊瀬朝倉宮 | 奈良県桜井市 | 456年 - 480年 | 雄略天皇 | ||
磐余甕栗宮 | 480年 - 485年 | 清寧天皇 | |||
近飛鳥八釣宮 | 奈良県明日香村 | 485年 - 488年 | 顕宗天皇 | ||
石上広高宮 | 奈良県天理市 | 488年 - 498年 | 仁賢天皇 | ||
泊瀬列城宮 | 奈良県桜井市 | 498年 - 507年 | 武烈天皇 | ||
樟葉宮 | 大阪府枚方市 | 507年 - 511年 | 継体天皇 | ||
筒城宮 | 京都府京田辺市 | 511年 - 518年 | |||
弟国宮 | 京都府長岡京市 | 518年 - 526年 | |||
磐余玉穂宮 | 奈良県桜井市 | 526年 - 532年 | |||
勾金橋宮 | 奈良県橿原市 | 532年 - 535年 | 宣化天皇 | ||
檜隈廬入野宮 | 奈良県桜井市 | 535年 - 540年 | |||
磯城島金刺宮 | 奈良県明日香村 奈良県桜井市 など諸説あり |
540年 - 572年 | 欽明天皇 | 橘の宮(橘寺) | |
百済大井宮 | 大阪府河内長野市 奈良県広陵町 大阪府富田林市 奈良県桜井市 など諸説あり |
572年 - 575年 | 敏達天皇 | ||
訳語田幸玉宮 | 奈良県桜井市 | 575年 - 585年 | |||
磐余池辺雙槻宮 | 奈良県磯城郡 奈良県桜井市 など諸説あり |
585年 - 587年 | 用明天皇 | ||
倉梯柴垣宮 | 587年 - 593年 | 崇峻天皇 | |||
豊浦宮 | 奈良県明日香村 | 593年 - 603年 | 推古天皇 | ||
小墾田宮 | 603年 - 630年 | 斑鳩宮 | |||
642年 - 643年 | 皇極天皇 | ||||
飛鳥岡本宮 | 630年 - 636年 | 舒明天皇 | |||
田中宮 | 奈良県橿原市 | 636年 - 640年 | |||
百済宮 | 奈良県広陵町 奈良県桜井市 など諸説あり |
640年 - 642年 | |||
飛鳥板蓋宮 | 奈良県明日香村 | 643年 - 645年 | 皇極天皇 | ||
655年 | 斉明天皇 | 難波長柄豊碕宮 | |||
難波宮(難波長柄豊碕宮) | 大阪府大阪市 | 645年 - 655年 | 孝徳天皇 | ||
661年 - 667年 | 斉明天皇 | ||||
飛鳥川原宮 | 奈良県明日香村 | 655年 - 656年 | 難波長柄豊碕宮 | ||
後飛鳥岡本宮 | 656年 - 661年 | ||||
朝倉橘広庭宮 | 福岡県朝倉市 | 661年 | |||
近江大津宮 | 滋賀県大津市 | 667年 - 672年 | 天智天皇 弘文天皇 | ||
飛鳥浄御原宮 | 奈良県明日香村 | 672年 - 694年 | 天武天皇 | ||
持統天皇 | |||||
藤原京 | 奈良県橿原市 | 694年 - 710年 | 文武天皇 | ||
元明天皇 | |||||
平城京 | 奈良県奈良市 | 710年 - 740年 | 難波京 | ||
745年 - 784年 | 聖武天皇 | 難波京 保良宮 由義宮 | |||
恭仁京 | 京都府木津川市 | 740年 - 743年 | 難波京 | ||
紫香楽宮 | 滋賀県甲賀市 | 743年 - 744年 | |||
難波京 | 大阪府大阪市 | 744年 - 745年 | |||
長岡京 | 京都府向日市 京都府長岡京市 京都府京都市 |
784年 - 794年 | 桓武天皇 | ||
平安京 | 京都府京都市 | 794年 - 1180年 | |||
1180年 - 1869年 | 安徳天皇 | ||||
福原京 | 兵庫県神戸市 | 1180年 | 平安京 | ||
南朝 | 吉野行宮 | 奈良県吉野町 | 1336年 - 1348年 | 後醍醐天皇 | |
1373年 | 長慶天皇 | ||||
賀名生行宮 | 奈良県五條市 | 1336年 | 後醍醐天皇 | ||
1348年 - 1351年 | 後村上天皇 | ||||
1352年 - 1354年 | |||||
1373年 - 1392年 | 長慶天皇 | ||||
天野行宮 | 大阪府河内長野市 (金剛寺) |
1354年 - 1359年 | 後村上天皇 | ||
住吉行宮 | 大阪府大阪市 | 1360年 - 1373年 | |||
東京府 → 東京都 | ー | 1869年 - 現在 | 明治天皇 | 首都建設法廃止後は首都に言及する法令は無い。
首都は東京都であることは広く受け入れられているとする政府見解がある。 一方で京都を首都と解する立場がある(東京奠都は首都を東京に遷すものではないとの解釈)[37]。 |
脚注
注釈
出典
- ^ 首都圏整備法附則4項により1956年(昭和31年)に廃止。
- ^ 第142回国会衆議院特別委員会
- ^ 日本の首都に関する質問主意書
- ^ 衆議院議員逢坂誠二君提出日本の首都に関する質問に対する答弁書
- ^ KO字源「首部」
- ^ この点につき伊藤博文「皇室典範義解」は「維新の後明治元年8月27日即位の礼を挙行せられ臣民再ひ祖宗の遺典を仰望することを得たり13年車駕京都に駐まる旧都の荒廃を嘆惜したまひ後の大礼を行ふ者は宜く此の地に於てすへしとの旨あり勅して宮闕を修理せしめたまへり本条に京都に於て即位の礼及大嘗祭を行ふことを定むるは大礼を重んし遺訓を恪み又本を忘れさるの意を明にするなり」と説明している。枢密院議長伊藤伯著「帝国憲法皇室典範義解」(国家学会刊行 明治22.6.1)P.157-158
- ^ 「金澤市ハ裏日本運輸交通ノ要路ニ當リ…裏日本ニ於ケル首都ナルノミナラス…」金澤市ニ鉄道局設置ニ関スル建議案(官報号外昭和2年3月26日衆議院議事速記録第32号)戦後「五大都市をもつて、その所屬府縣の首都となす」1衆治安及び地方制度委員会8号昭和22年08月07日 「長崎縣の五島列島は九州の西南に位いたしまする離島であります。その首都でありまするところの福江港」1衆国土計画委員会9号昭和22年08月22日「わが高鍋町は由來兒湯郡の首都として、郡の中央に位し」1衆司法委員会56号昭和22年11月14日…以上は国会議事録検索から検索可能。アジ歴検索だと「オムスク方面より新疆省首都迪化に到着したが同省暴動の状況に鑑み…」陸発表情報(甲)第111号陸軍省新聞班(レファレンスコード A03023794300 で検索可能)など
- ^ 衆議院法制局長、参議院法制局長、内閣法制局長官に対する質問
- ^ 衆議院法制局長、参議院法制局長、内閣法制局長官からの回答(概要)
- ^ たとえば「第百六十九通常国会召集の詔書(平成20年1月8日)」[1]。WIKISOURCE「Category:昭和の詔勅」[2]も参照。
- ^ 「地名等の英語表記規定」13条。国土交通省国土地理院通達10号(平成28年3月29日)]
- ^ weblio英和辞典「metropolis」
- ^ 2011年(平成23年)7月2日 神戸新聞
- ^ 三野与吉監修 『人文地理辞典』 東京堂、1959年(昭和34年)改訂再版。
- ^ 永原慶二監修 『岩波日本史辞典』 岩波書店、1999年(平成11年)。
- ^ 喜田貞吉「難波京の沿革を論じて府と県との称呼の別に及ぶ」(1909年(明治42年))『喜田貞吉著作集5 都城の研究』所収、平凡社、1979年(昭和54年)。
- ^ a b 『東京奠都の真相』.
- ^ 磯村英一 『東京遷都と地方の危機』 東海大学出版会、1988年(昭和63年)。
- ^ 第136回国会 国会等の移転に関する特別委員会 第5号
- ^ 講談社『大字典』
- ^ 説文解字『都』によれば「有先君之舊宗廟曰都」、説文解字注によれば「有先君之舊宗廟曰都、左傳曰、凡邑有宗廟先君之主曰都、無曰邑」とある。宗廟とは祖先の霊をまつった宮殿、祖先のみたまやのこと(精選版 日本国語大辞典)であり、中国においては祖先の位牌をまつる建物のこと。礼記曲礼篇によれば都城を営むときはまず宗廟を造り次に厩舎(馬小屋)と武器庫を造り、最後に居室を造ると言われ、宮城のなかで最も重要な建築である(平凡社世界大百科事典 第2版)。
- ^ 山田邦和 「福原京に関する都城史的考察」 『長岡京古文化論叢』2所収、三星出版、1992年(平成4年)。
- ^ “家康公の生涯 - 隠居でなかった家康の晩年”. www.visit-shizuoka.com. 2020年11月2日閲覧。
- ^ 佐々木克 『江戸が東京になった日 明治二年の東京遷都』 講談社、2001年(平成13年)。
- ^ 大石学 『首都江戸の誕生 大江戸はいかにして造られたのか』 角川書店、2002年(平成14年)ISBN 4047033464。
- ^ 土岐寛「首都機能移転問題の軌跡と展望」『大東法学』第24巻第2号、大東文化大学、1995年3月30日、四三-六九、CRID 1050845762779791872。P.54
- ^ 国会等の移転は首都移転と違うのか 国土交通省・国会等の移転ホームページ
- ^ “帝都復興に関する詔書”. 国立公文書館. 2024年1月31日閲覧。
- ^ 古井喜実「東京都制について(一)」『国家学会雑誌』第57巻第9号21頁
- ^ 大阪都? スーパー大阪市? 橋下知事が府・市再編提唱 Archived 2010年2月19日, at the Wayback Machine.
- ^ 蝋山(1958)830頁。
- ^ 歴史資料ネットワーク編 『平家と福原京の時代』 岩田書院、2005年(平成17年)。
- ^ 山田邦和 「福原の夢」
- ^ 佐々木克 1990.
- ^ 平安奠都千百年紀念祭 京都観光NAVI
- ^ 大石慎三郎「日本の遷都の系譜」『學習院大學經濟論集』第28巻第3号、学習院大学、1991年10月、31-41頁、CRID 1050001202931414912、hdl:10959/374、NAID 110007523974。P.31
- ^ 「遷都については、ついに詔もなく一片の法令も発令されなかった。『維新史』(文部省・昭和16年)は「東京奠都」と表現する。過去の遷都の例にならう限り、詔や法的根拠がない以上、遷都とは云えない、という立場である。奠都とは、首都をある地に定める、という意味で、都の移動ではないのである。」(佐々木克 1990, p. 60)
- 日本の首都のページへのリンク