路傍の石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/20 01:28 UTC 版)
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東京帝國大学でドイツ語を専攻した山本は、当時ドイツで流行した教養小説の影響を受けてこの作品を書いたとされる。大正期の社会主義と個人主義の対立を背景に据えていることも、重要なポイントである。
吾一の生き方は、山本自身の生い立ちと重なる部分も多いが、本人はそれを否定しており、実際、細部において山本の生き方とは異なる。
近年では、いわゆる機能不全家族(アダルトチルドレン)との関連で、一部[誰?]で再び評価されつつある。
戦前、戦後を含め4回に亘り映画化された。
- ^ ただし、おきぬと違い、秋太郎の方は、吾一が奉公のため伊勢屋に姿を見せた際には「あ、吾一っちゃんだ」と嬉しそうに言っており、番頭にもう友達ではなくただの奉公人なのだからと「五助」と呼ぶ事を強要されて渋々言う通りにするという経緯があり、その後も「五助」と呼ぶ際には気兼ねしている節があった。また、後に吾一が自分の勉強の相手をする事になった際、女中が自分のために持ってくるお菓子を吾一にも分けてくれたりもした。
- ^ 1938年版の映画も同様と思われるが、本項では新潮文庫版の「付録」で明確に確認できる人物のみとした
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 1頁。
- ^ “路傍の石(1963年版)”. テレビドラマデータベース. 2021年7月27日閲覧。
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