貿易銀 フランス

貿易銀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 04:29 UTC 版)

フランス

フランス領インドシナの貿易銀

フランスは1887年より安南カンボジアおよびラオス王国保護国としてインドシナ東部を領有し、フランス本国の貨幣を法定通貨としたが、フランスの5フラン銀貨は25.00グラムとメキシコドルに対し量目が不足しており広く流通することはなかった。また当時の世界的な銀相場の下落により金銀比価が変化し、銀貨には相対的に高い名目価値が生じフランス本国に銀貨が還流する懸念があり、これを防止するため貿易専用の銀貨を発行することとなった。

そこで1885年よりアメリカ貿易銀と同等の420グレーン(27.215グラム)の貿易銀を発行した。この貿易銀はピアストル(PIASTRE)の額面および品位0.900、量目27.215GRと表記されていた。しかしながら依然メキシコドルが幅を利かせ、この貿易ピアストルはアメリカおよび日本の貿易銀と同様、退蔵され広く流通することはなかったため、1895年からは量目を27.00グラムに減量して1928年まで発行された。これ以降次第に広く流通するようになった。

イギリス

イギリスの貿易銀

1819年シンガポール1842年香港の設立に伴い、イギリスの商社の東洋との貿易に対する関心が高まり、様々な外国銀貨が流通する中、イギリス植民地の信頼がゆらいでいた事から、特別の貿易専用銀貨の製造が必要となっていた。

中国は1840年から始まったアヘン戦争の敗戦の結果、香港をイギリスに割譲し多くの港を開港することとなった。その後数十年間にイギリスの貿易商らがこの地域に集中することになり貿易港として栄え、中国のおよび磁器の代金支払いに貿易銀が用いられることとなり、1866年から香港造幣局で壹圓銀貨が製造されることとなった。しかし強大な勢力を誇ったメキシコドルに対し増歩を要求される始末であったため短期間で製造は中止し、造幣局も閉止された。

やがて交易の発展により通貨不足が生じたため1895年から再び香港を中心とする貿易専用に、貿易銀を発行することとなった。この銀貨は中国国内でも流通するようになった。

裏面には漢字で「壹圓」、さらにマレー文字が表記され、当時主に銀貨が流通していた東洋で貿易取引に使用することを前提とするものであった。 416グレーンで日本の貿易一圓銀貨と同じ量目で1895年から1935年まで製造された。製造地は主にインドボンベイおよびカルカッタであり、1925年および1930年のみロンドンで製造された[4]

1937年8月1日にイギリスの貿易銀は廃貨となった。

発行枚数

各国の貿易銀の発行枚数を示す[4][8][9]

アメリカ
フィラデルフィア カーソンシティ サンフランシスコ
年号 プルーフ貨幣 CC S
1873年 396,635 865 124,500 703,000
1874年 987,100 700 1,373,200 2,549,000
1875年 218,200 700 1,573,700 4,487,000
1876年 455,000 1,150 509,000 5,227,000
1877年 3,039,200 510 534,000 9,519,000
1878年 900 97,000 4,162,000
1879年 1,541
1880年 1,987
1881年 960
1882年 1,097
1883年 979
1884年 10
1885年 5
合計 5,096,135 11,404 4,211,400 26,647,000
日本
年号[10] 発行枚数
1875年(明治8年) 97,575
1876年(明治9年) 1,514,629
1877年(明治10年) 1,152,273
1878年(明治11年) [11] 292,161
合計 3,056,638
フランス領インドシナ
パリ サンフランシスコ バーミンガム
年号 A H
27.215GR
1885年 800,000
1886年 3,216,000
1887年 3,076,000
1888年 948,000
1889年 1,240,100
1890年 6,108,000
1891年
1892年
1893年 795,000
1894年 1,308,000
1895年 1,782,000
27GR
1895年 3,798,000
1896年 11,858,000
1897年 2,511,000
1898年 4,304,000
1899年 4,681,000
1900年 13,319,100
1901年 3,150,000
1902年 3,327,000
1903年 10,077,000
1904年 5,751,000
1905年 3,561,000
1906年 10,194,000
1907年 14,062,000
1908年 13,986,000
1909年 9,201,000
1910年 761,000
1911年
1912年
1913年 3,244,000
1914年
1915年
1916年
1917年
1918年
1919年
1920年
1921年 4,850,000 8,430,000
1922年 1,150,000 8,570,000
1923年
1924年 2,831,000
1925年 2,882,000
1926年 6,383,000
1927年 8,184,000
1928年 5,290,000
イギリス
ロンドン ボンベイ カルカッタ
年号 B C
1895年 3,316,000
1896年 6,136,000
1897年 21,286,000
1898年 21,546,000
1899年 30,743,000
1900年 9,107,000 363,000
1901年 25,680,000 1,514,000
1902年 30,404,000 1,267,000
1903年 3,956,000
1904年 649,000
1905年
1906年
1907年 1,946,000
1908年 6,871,000
1909年 5,954,000
1910年 5,553,000
1911年 37,471,000
1912年 5,672,000
1913年 1,567,000
1914年
1915年
1916年
1917年
1918年
1919年
1920年
1921年 [12]
1922年
1923年
1924年
1925年 6,870,000
1926年
1927年
1928年
1929年 5,100,000
1930年 6,660,000 10,400,000
1931年
1932年
1933年
1934年 17,335,000
1935年 [13]

  1. ^ 三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年
  2. ^ a b 『日本の貨幣 −収集の手引き−』 日本貨幣商協同組合、1998年
  3. ^ Martin, David A. (1973). "1853: The End of Bimetallism in the United States". The Journal of Economic History. 33 (4): 825–844. Retrieved 7 August 2017.
  4. ^ a b c Chester L. Krause and Clofford Mishler, Colin R. Brucell, Standard catalog of WORLD COINS, Krause publications, 1989
  5. ^ 大蔵省編纂 『明治大正財政史(第13巻)通貨・預金部資金』 大蔵省、1939年
  6. ^ 『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』 ボナンザ、1982年
  7. ^ 『造幣局百年史(資料編)』 大蔵省造幣局、1971年
  8. ^ Trade Dollar Mintages at coinfacts.com
  9. ^ 『造幣局長第五十二年報書(大正十四年度)』 大蔵省造幣局、1925年
  10. ^ 貨幣面の年号とは一致しない。
  11. ^ 明治10年銘と推定される。
  12. ^ 5枚の存在が確認。
  13. ^ 15枚の存在が確認。


「貿易銀」の続きの解説一覧




貿易銀と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「貿易銀」の関連用語

貿易銀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



貿易銀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの貿易銀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS