管理貿易と貿易銀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:42 UTC 版)
「中国の貨幣制度史」の記事における「管理貿易と貿易銀」の解説
清の成立当初は遷界令による海禁政策がとられたが、鄭氏政権の降伏によって清が台湾支配を始めると、展界令によって貿易が解禁される。ポルトガルとスペインに代わってオランダやイギリスの影響力が強まり、清は中国の伝統的な貿易である朝貢にのっとって朝貢を求める夷狄に物品を賞賜するという形式をとった。清は江蘇・浙江・福建・広東清に海関を設立して入港税と貨税を徴収して、政府ではなく宮廷の収入とした。欧米商人との取り引きをする貿易港は広州に限定され、広東貿易体制と呼ばれた。外国の商人は陸上居住を禁止され、広東十三行と呼ばれる特権商人のギルドが取り引きを独占した。こうした特権商人は公行(中国語版)と呼ばれ、のちにイギリスと対立した。銅貨の素材となる銅は引き続き日本から輸入され、杭州の乍浦と寧波が貿易港となった。 銀貨が世界的な貿易の支払いの中心となり、貿易専用に発行された銀貨を貿易銀と呼んだ。メキシコドルは国際貿易の決済通貨となり、ドルの語源となった。それまでは銀が秤量貨幣として使用されていたが、清末に広東造幣廠が設立されて本位銀貨として光緒元宝が発行された。これが銀元と呼ばれる貿易銀となった。中国では圓の同音で元と呼ばれ、のちの東アジアの通貨単位である円、元、ウォンなどの由来にもなった。のちに香港でも貿易銀をもとにして銀貨を発行し、香港ドルの成立につながる。
※この「管理貿易と貿易銀」の解説は、「中国の貨幣制度史」の解説の一部です。
「管理貿易と貿易銀」を含む「中国の貨幣制度史」の記事については、「中国の貨幣制度史」の概要を参照ください。
- 管理貿易と貿易銀のページへのリンク