苦難の行軍 被害の実態

苦難の行軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 03:16 UTC 版)

被害の実態

「苦難の行軍」期にあたる1996年、のちに脱北することとなる人物が酒の密造で警察に摘発された老夫婦を助けた際、老婆が「日本による統治時代より生活が厳しい。統治時代には少なくとも食べ物がなくて死んだ人はいなかった。配給もきちんとしていた」と話しているのを聞いている[26]

北朝鮮におけるコメとトウモロコシの生産量(1989-1997)[27]
Year 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997
コメ生産量 (百万トン) 3.24 3.36 3.07 3.34 3.56 2.18 1.40 0.98 1.10
トウモロコシ生産量(百万トン) 4.34 3.90 4.20 3.72 3.94 3.55 1.37 0.83 1.01

栄養失調と食糧難

北朝鮮では1957年11月から、協同農場の農民を除く全国民に食糧配給制度が実施され、一般労働者は1日あたり700グラム、軍人は800グラム、15歳以下の子供や老人は100グラムから500グラムまで、職業や年齢に応じて配給されることになっており、1990年代初頭には平均450グラム程度の配給量となったが、1995年の水害でその半分に減量され、さらにその後も減少させられた[28](詳細後述)。

2001年5月に北京で開かれた第5回東アジア太平洋地域閣僚等会合に北朝鮮当局が提出した資料によれば、1993年に73.2歳だった平均寿命は1999年には66.8歳に縮まり、5歳以下の乳幼児死亡率はこの間、1000人あたり27人から48人へと激増している[26][注釈 3]。生存しても乳幼児期の栄養失調は認識障害などの後遺症として残り、食糧難の時期に生まれた子どもたちが徴兵年齢に達した2009年から2013年にかけては、17パーセントから29パーセントの若者がアメリカ合衆国の基準では認識障害と診断されて兵役不可となると推計された[26]

北京の中華人民共和国国務院傘下の研究機関が1999年に作成した報告書は大量餓死を認めており、

1995年の大洪水以後、国家の食糧配給は基本的に中断された。1998年、清津市茂山郡では合わせて4回(ソルラル太陽節光明星節建国記念日)の食糧配給があり、毎回2日分の食糧だった。すなわち、365日中の8日分の食糧だ。残りは住民が自分で解決しなければならなかった。清津市茂山郡だけではない。カネがある者たちは自由市場に行き、高価ではあるが食糧とその他食品を買える。しかし、カネのない者たちは木の皮、草の根、山菜だけを食べている。食品は、極度に不足し自由市場価格は大変高いため、労働者として給料生活をする層でははるかに手が届かない。通常労働者は月80-100ウォン、中佐大佐の場合でもわずか150ウォン程度だ。このような収入で1キログラム80ウォン程度になるをどうして買えるだろうか。また、多くの地域ではすでに長期間月給が正常に出なくなっている。ある脱北者は『北朝鮮の人たちはイネの根までみんな食べる』と語った。10キログラムの稲の根に1キログラムのトウモロコシを入れ砕いて麺を作って食べ、トウモロコシは軸まで砕いて粉を作って、山菜の根を入れてをつくり食べていると彼は話した。清津市から来たある女性は、女性たちの運命はとても悲惨だと語った。彼女らは夫と子どもの腹を満たすために数十里の道を歩いて田舎に行き食糧を交換してくるのだが、飢えと疲労で多くの人が路上で餓死しているという。海州市から来た脱北者は『海州から清津まで汽車に乗ってくる途中で老人と子供らが汽車の中で餓死した後、道ばたに埋められるのを直接目で見た』と語った[5]

と報告している[5]

餓死者の数

餓死者数は、政治的要因および統計制度・調査方法の不備から、研究者によって諸説に分かれる。

上はフィリップ・ボンズによる1995年の推計をグラフ化したものであり、4年間で350万人の餓死者が出たものとしている[29]。出された数字については、北朝鮮当局によって操作されているとみなす非政府組織において疑問視されている[30]

10万人〜100万人規模
  • 武藤正敏は、「1995年前後、餓死者数10万とも100万ともいわれる『苦難の行軍』の時期にも、金正日政権は国民救済ではなく核開発に財源を使ってきた」と述べている[31]
  • 朝鮮半島エネルギー開発機構事務局長のCharles Kartmanは、「アメリカ合衆国議会公聴会では北朝鮮で飢え死にした人の数が数百万人になるという主張が出ましたが、アメリカ合衆国国務省はどのように見ていますか」という質問に対して、「誰も分かりませんよ。そのような統計はこの数年間、栄養失調で死んだ人の数字をすべて合わせたものです。その中には栄養失調のために罹った病気で死んだ人たちも含まれています。そのように見れば過去3年間に100万人が死んだという統計も理に適うものかもしれません」と回答している[5]
  • 三村光弘は、「そこにきて1990年代半ばは、北朝鮮にとってかつてない深刻な食糧難の時代でした。餓死者は三十数万人と推計されています。当時はソ連崩壊の直後で、東西冷戦の最前線に位置する北朝鮮がそれまで受けていたソ連東欧諸国からの食糧援助が途絶えました。国際市場価格よりも有利な条件の貿易もなくなりました。当時は食糧の供給を国が徹底的に管理しており、国民が信じて待っていた食糧の配給が破綻し、多くの人が餓死したのです」と述べている[32]
  • 牧野愛博(『朝日新聞』ソウル支局長)は、「北朝鮮はご存じのように、1995年から1996年ぐらいにかけて、『苦難の行軍』と言われる大規模な飢饉がありました。非常に食糧不足に陥って、少なくとも30万人ぐらい、多いと200万人ぐらいの人が亡くなったと言われていますけれども、少なくとも私の知っている人でも、地方の都市なんかではかなり餓死者が出て、大変なことになっていた」と述べている[33]
210万人規模
  • 北朝鮮の国勢調査に基づく推計によると、北朝鮮大飢饉の結果、24万人から42万人が死亡し、1993年から2008年の全期間における過剰死亡者は60万人から85万人にのぼった[34]。飢饉は、北朝鮮政府の経済政策の結果として、または意図的な「テロ飢餓」としても表現されている[35]。『共産主義黒書英語版』の共著者であるピエール・リグロフランス語版は、10万人の死刑執行、強制収容所での150万人の死者、飢饉による50万人の死者を推定し、合計210万人の犠牲者に達するものと推定している(この数字には、朝鮮戦争中に両側で殺された130万人の軍民は入っていない)[36]
300万人〜350万人規模
1997年に韓国に亡命した北朝鮮高官(最高人民会議常設会議議長)の黄長燁
  • 韓国に亡命した北朝鮮最高人民会議常設会議議長の黄長燁は、「1996年11月に大量餓死が心配になって、腹心の部下を労働党組織指導部に送って尋ねさせたところ、1995年に50万人、1996年11月までに100万人死んだ。このままなら1997年も100万人、1998年までに300万人死ぬだろう」という結果を得たと証言しており[37]、「自分が統治する人民、国民を300万以上餓死させ、そしてすべての国土を監獄にし、経済的権力、政治的権力、すべてのものを奪い、とうとう精神すらも奪ってしまう[38]」「有事には急変して大勢の難民が韓国に来る、日本に来るという話もありますが、私はそういうふうには思いません。300万人が餓死した時もそのようなことはありませんでした[39]」と述べている。
  • 1996年11月朝鮮労働党中央委員会資料研究室副室長の金徳弘に対して、朝鮮労働党中央委員会書記局組織部の死亡者の統計担当者が「1995年に50万人、うち党員が5万人、1996年11月までの時点で既に100万人、1997年もこのまま行けば100万人は死ぬだろう」と伝えた[40]。これについて1999年3月金徳弘と面談した西岡力は、「この統計が総死亡者数だとしても、1995年、1996年の2年間で150万人になる。1997年、1998年も状況は好転していないから少なくとも150万人以上が死亡したと見て間違いないだろう。となると、4年間では300万人以上の死亡者が出たことになる」「面談した際の印象とこれまで文章として発表されたものの内容から、死亡者の数に関する黄氏金氏の証言は意図的な誇張や歪曲はないと私は判断している」と述べている[40]
  • 李栄薫は『産経新聞』のインタビューに対し、「たとえば、金日成主席の死亡(1994年)から1997年までに金日成ののために使われた資金は9億ドル(約970億円)にのぼる。その金があれば、1995年から1998年にかけ300万人が死んだとされる大飢餓の人々を救えたはずだ」と述べている[41]
  • 1998年7月から9月にかけてジョンズ・ホプキンズ大学難民及び災害公衆保健研究所が440人の在中国北朝鮮難民を対象に実施した面接調査では、440人の難民が属する家族の総人数は1994年7月時点で1782人だったが、1995年から1997年の3年間で214人が死亡、死亡率は12%であり、北朝鮮にいる最も近い親戚259家族の同期間の死亡率は13%である[5]。これに「北朝鮮の支配層(おおよそ15%、約300万人)と農民層(おおよそ30%、600万人)を除外した北朝鮮の人口1300万人で餓死者数を計算すると、1300万×13%≒170万人となり、これに1998年分を加えると餓死者数は約225万人となり、西岡力は「黄元書記の証言から推計した300万人という数字の信憑性が分かる」と評している[5]
  • 駐韓アメリカ合衆国大使館のLARRY ROBINSONが1998年8月アメリカ合衆国国務省に提出した報告書には、「北朝鮮経済に対する国際社会の主要関心事は食糧不足に集中されている。最近伝えられている北朝鮮関連の断片的な報告は、ある面で過去2年間(1996年1997年)の状況よりもこの夏(1998年)の状況がましになっているようではあるが、食糧不足が深刻であるということは疑う余地がない。そして過去数年間の累積した食糧不足により北朝鮮の状況は今世紀最悪の飢饉として記録されるだろう。正確な統計はない。しかし、黄長燁WFPに派遣勤務中に亡命した北朝鮮政府官吏をはじめとする亡命者らと、私たちの民族助け合い仏教運動本部の中国居住脱北者調査の結果、そして一番最近では最高人民会議投票者数などをもとにした中国側の調査によれば1995年以後の飢饉のための死亡者は北朝鮮全体人口の10%から15%に相当する200万人から300万人におよぶものと思われる。これは比率で見る時、1959年から1962年の間の中国の飢饉の2倍以上になるものだ」と書かれている[5]
  • 上述の中国国務院傘下研究機関の1999年作成の報告書は、上で詳述したような悲惨な状況を総合するとき、1995年からの凶作により北朝鮮人口が300万人減少したという話は信じるに足る」としている[5]
  • 趙甲濟は、脱北した北朝鮮政府高官から「2005年に労働党の核心部署が最高人民会議代議員選挙のための人口調査をしたところ、1800万人という数字が出た」という情報を得たとして、「平壌の高官だった脱北者が驚くべき証言をした。彼は、『自分が労働党の核心部署から聞いたことでは、労働党が最高人民会議代議員選挙(2003年8月)のため人口調査をしたら、なんと1800万人だったそうだ』『1994年から1998年の4年間で300万人以上が飢え死にした以降も人口の増加はなかった』」と述べている[37][42]
  • 李相哲は、「200万人に上る餓死者を出した1990年代後半の『苦難の行軍』[43]」「『苦難の行軍』というのは1990年代後半、自然災害などで苦境に陥り300万人とも言われる餓死者が出た時の状況を指す[44]」と述べている。
  • 西岡力は、「1994年金日成死亡直後から配給がほぼ全面的に止まり人口の15%、300万人が餓死するに至った。その後も配給は復活せず党軍治安機関幹部らを除くとすべての住民が政権の統制の外で『チャンサ(商売)』を通じて生計を維持している」と述べている[37]
  • 救う会事務局長の平田隆太郎によれば、韓国から北朝鮮に向けて風船で散布している北朝鮮向けビラには、「300万人が飢えて死んだ『苦難の行軍』の時、3年間も北朝鮮人民らを養うことのできる8億9千万ドルを投じて自分の父の金日成の死体を飾るのに費やしました。このお金で食糧を買い、飢える人民に食べさせたら、数百万人が餓死はしなかったはずです。これがまさに人民の父母、人民の指導者と騒ぎ立てる金正日の正体です」と書かれている[45]。平田は、「北朝鮮では1994年に飢餓が発生し、1996年、1997年、1998年の3年間で大量の餓死が発生し、1999年まで続き、その数は300万人と言われる。餓死者が大量に出たことは脱北者の証言で明らかであるが、北朝鮮は、この期間も人口が増加したと報告している」「北朝鮮の人口統計は少なくとも300万人の水増しである。特に金正日政権になって餓死者が多発したのである」と述べている[37][45]
  • 久保田るり子(『産経新聞』ソウル支局特派員)は、「1996年から1997年、悪天候と北朝鮮式農業の失敗で北朝鮮では約300万人規模ともされる餓死者が出て、民心は爆発寸前だった」と述べている[4]
  • 「私たちの民族助け合い仏教運動本部」が中国脱北した難民に対して、1997年9月30日から1998年9月15日の約11か月間かけて行った「北朝鮮食糧難民1694名面談調査」では、難民に本人を含む総家族数を確認後、1995年8月から1998年7月までの3年間に死亡した人数を尋ね、総家族数は9249人で死亡者は2653人、家族死亡率は28.7%に上る[40]。家族内の死亡率が25%、即ち平均してどの家族でも1人以上死んでいる現象が、全国的に起きている[40]。「私たちの民族助け合い仏教運動本部」は、「北朝鮮の支配層(おおよそ15%、約300万人)と農民層(おおよそ30%、600万人)を除外した北朝鮮の人口1300万に家族死亡率28.7%をかけると1300万×28.7%≒350万人であり、1995年8月から1998年7月までの3年間で350万人が死亡したと結論付けている[40]。「北朝鮮食糧難民1694名面談調査」では、難民に自分が所属していた人民班英語版(典型的な「人民班英語版」は平均26世帯、127人で構成されている)の死亡者についても尋ねており、死亡率が27.5%であることが分かり、家族死亡率とほぼ一致する[40]。「人民班」の死亡率を地域別にみると、平壌11.7%、黄海南道22.4%、咸鏡南道31.2%であり、全国的に大量の死亡者が出ていることが分かる[40]
500万人・数百万人規模
  • ジャスパー・ベッカー英語版BBC記者)が、国連などのデータをもとに指摘しているところによると、金日成が死去した直後の1995年、国連が調査した北朝鮮の人口は2400万人だったが、2005年には1900万人に激減しており、わずか10年余りの間に500万人も餓死していると指摘している[46]
  • 宮塚利雄は、2012年に「10年間で500万人以上の餓死者が出たと言われ、現在は(北朝鮮の人口は)2000万人を切っているとも言われる」と述べている[47]
  • 近藤大介は、「北朝鮮では、金日成主席が死去し、金正日総書記の時代を迎えた1994年後半から1997年にかけて、3年飢饉が発生。数百万人が餓死したと言われる」と述べている[48]

人肉食

韓国の公的機関である韓国統一研究院(KINU)は、人肉食のいくつかの事例について白書で報告している[49]。しかし、カニバリズムの重要性は2000年代に相対化されることであり、また、いずれも孤立した事案であって、インタビューを受けた230人の脱北者のなかで、食人慣行に言及したのは12人に過ぎない[50]


注釈

  1. ^ 2000年代に入ってからの原油輸入量は50万トンに満たない状態が続いている[8]
  2. ^ 意見を述べた専門家は処刑されている。
  3. ^ 2002年の北朝鮮の1000人あたり乳幼児死亡率は55人で、1999年よりもさらに悪化している[26]。なお、韓国の乳幼児死亡率(1000人あたり)は5人、日本のそれは4人であった[26]
  4. ^ 北朝鮮を取り巻く環境が最も困難な時期、すなわちソビエト連邦が崩壊し、東欧社会主義圏が消失した1991年から米朝対決の1994年頃までならばともかく、米朝が和解し、大量の重油や食糧が入ってきた1994年秋以降に大規模な餓死者が出ていることから、萩原遼は、大量餓死が金正日が意図的に引き起こしたものであり、数百万人の自国民殺戮だったのではないかと推測している[6]

出典

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