金正恩と「苦難の行軍」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 05:08 UTC 版)
「苦難の行軍」の記事における「金正恩と「苦難の行軍」」の解説
北朝鮮の食糧事情は「苦難の行軍」以降は大幅に改善されており、貧困のため食糧を十分に買えない人は数多くいるが、国内に「食糧がない」という状況は解消された。しかし、金正日が死去して、その後継者となった金正恩が実権を握って間もない2012年春、北朝鮮のなかでもコメを多産する穀倉地帯である黄海南道で大量の餓死者が発生している。正確な数字は不明ながら、その数1万人以上であったと推計される。前年末の金正恩政権の発足を祝う「お祭り騒ぎ」や宴会を数カ月にもわたって継続するため、当局が黄海南道の食糧を根こそぎ徴発してしまったという。黄海南道の村々からは何の前ぶれもなく突如食糧が消滅してしまったので、人々は飢えに備えることさえかなわず、尊い命を犠牲にしたのである。 「遺訓政治」を高く掲げる金正恩は、2021年4月に開催された朝鮮労働党第6次細胞書記大会において、 自己の党(朝鮮労働党)を守るために数十年間もあらゆる苦難に耐えてきた人民の苦労を今は一つでも軽減し、人民に最大限の物質的・文化的福利をもたらすために、私は、党中央委員会から始めて各級党組織、全党の細胞書記がより厳しい『苦難の行軍』を行うことを決心した と発言し、『苦難の行軍』に言及して体制の結束を高める方針を示した。
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