正倉院 正倉院文書

正倉院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 13:23 UTC 版)

正倉院文書

正倉院文書(しょうそういんもんじょ)は、正倉院に保管されてきた文書群で、光明皇后の皇后宮職から東大寺写経所に至る一連の写経所で作成された文書を中心とする。奈良時代に関する豊富な情報を含む史料である。

聖語蔵

正倉院の構内にはもう1棟、小型の校倉造倉庫が建ち、「聖語蔵」(しょうごぞう)と呼ばれている。中に収められていたのは経巻類で、正倉院文書とは別の古代の仏教関係の書籍(経巻類)が保管されていた。もとは東大寺尊勝院経蔵「聖語蔵」の一群である。隋経8部22巻・唐経30部221巻、天平経13部18巻、光明皇后発願の「天平十二年御願経」127部750巻、天平勝寶経4部5巻、天平神護経1部3巻、称徳天皇発願の「神護景雲二年御願経」171部742巻、さらに平安時代鎌倉時代に至る古写経、古版経を含めて総計4960巻であった[21]。また、鎌倉時代の外典の写本も含まれている[22]この経巻類は1894年(明治27年)に皇室に献納され、校倉造倉庫も正倉院構内に移築された。現在は他の宝物と同様に宮内庁正倉院事務所が管理している。

正倉院聖語蔵経巻全巻のアーカイブ化プロジェクトも進められている[23]

建造物としての正倉院

校倉造

校倉造、屋根は寄棟造、瓦葺。規模は正面約33.1メートル、奥行約9.3メートル、床下の柱の高さ約2.5メートルである。

建立時期は不明だが、光明皇后が夫聖武天皇の遺愛の品を大仏に奉献した756年(天平勝宝8歳)前後とみるのが通説である。759年天平宝字3年)以降、宝物出納の記録が残っていることから、この年までに建立されていたことがわかる。当初の正倉院の建物構成についてはわかっておらず、記録によれば、平安末期には現存する宝庫1棟を残すのみであったらしい。

床下には10列×4列の柱を建て、その上に台輪(だいわ)と呼ぶ水平材を置く。この上に北倉と南倉は校木(あぜぎ)という断面三角形の材を20段重ねて壁体をつくり、校倉造とする。ただし、中倉のみは校倉造ではなく、柱と柱の間に厚板を落とし込んだ「板倉」で、構造が異なる。なぜ、中倉のみ構造が異なるのか、当初からこのような形式であったのかどうかについては、諸説ある。奈良時代の文書には、正倉院宝庫のことを「双倉」(そうそう、ならびくら)と称しているものがある。このことから、元来の正倉院は北側と南側の校倉部分のみが倉庫で、中倉にあたる中間部は、壁もなく床板も張らない吹き放しであったため「双倉」と呼ばれたとするのが通説だったが、年輪年代法を用いた鑑定により、当初より現在の形であった事が判明している[24]

校倉の利点として、湿度の高い時には木材が膨張して外部の湿気が入るのを防ぎ、逆に外気が乾燥している時は木材が収縮して材と材の間に隙間ができて風を通すので、倉庫内の環境を一定に保ち、物の保存に役立ったという説があった。しかし、実際には、重い屋根の荷重がかかる校木が伸縮する余地はなく、この説は現在は否定されている[注 2]。実際壁面は中から見るとあちこちから外光が透けて見える「隙間だらけ」の状態であり、湿度の管理について言えば、宝物が良い状態で保管されたのは多重の箱に収められていたことで湿度の「急変」が避けられたことによる部分が大きい。 現存する奈良時代の倉庫としてはもっとも規模が大きく、また、奈良時代の「正倉」の実態を伝える唯一の遺構として、建築史的にもきわめて価値の高いものである。

校倉造の宝庫は長年、宝物を守ってきたが、1952年(昭和27年)に鉄筋コンクリート造の東宝庫、1962年(昭和37年)には同じく鉄筋コンクリート造の西宝庫が完成し、翌1963年(昭和38年)、宝物類はそちらへ移された。現在、宝物の大部分は西宝庫に収納、東宝庫には修理中の品や、西宝庫に収納スペースのない、大量の染織品が収納されている。現在、勅封はこの宝庫に施されている。

損壊・盗難

幾度も耐火の危機や盗難が起きている[26]。盗難は1039年長暦3年)、1230年寛喜2年)、1610年慶長15年)の3度あり、そのすべてが働いていた僧侶によるもので、宝物の点検や建物の修理の後に盗み、すべて捕まっている[26]

  • 917年(延喜17年) 火事で講堂や僧房が焼ける。
  • 1031年(長元2年)台風と見られる強風で勅封倉、南倉に被害。
  • 1039年(長暦3年)僧らが勅封倉を焼き宝物を盗む。
  • 1095年(嘉保2年) 勅封倉、南倉の複数の倉が焼ける。
  • 1180年(治承5年) 平重衡の南都焼きで東大寺焼失。南側の倉跡地が防火帯になる。
  • 1230年(寛喜2年) 僧2人が鍵を壊して宝物を盗み、鏡を砕いて金属部分を売ろうとするが高値で売れず捕まる。
  • 1254年(建長6年) 落雷で倉が焼けるが東大寺関係者が宝物を運び出し事なきを得る。
  • 1567年(永禄10年) 松永久秀の兵火で東大寺大仏殿などが消失。
  • 1610年(慶長15年) 台風被害の片付けをした僧3人が北倉の古器を盗む。
  • 1830年(文政13年) 屋根が大破。

修理

記録によれば、1031年長元4年)、1079年承暦3年)、1100年康和2年)、1193年建久4年)、1230年寛喜2年)、1243年寛元元年)から1246年(4年)、1254年建長6年)、1603年慶長8年)、1693年元禄6年)、1833年天保4年)から1836年(7年)、1877年明治10年)に修理がおこなわれた[27]

1913年大正2年)3月から12月にかけて解体修理が行われた[28]

2010年(平成22年)8月31日に正倉院を管理する宮内庁は、1世紀ぶりに正倉院の施設整備工事を行うことを目指し、2011年(平成23年)度予算の概算要求で工事費として3億6,000万円を盛り込んだ[29]。改修は2011年(平成23年)9月1日より始まり、拝観停止となっていた。一部希望者は期間限定で工事見学が出来た[30]。2014年(平成26年)10月25日から公開が再開された[31][32]

国宝指定の経緯

皇室用財産(宮内庁の各部局(長官官房侍従職書陵部三の丸尚蔵館京都事務所、正倉院事務所)が管理する国有財産)の一連の文化財は、「宮内庁による十分な「管理」が行われている」との宮内庁見解[33][34]にもとづき、文化財保護法による指定の対象外となっている。そのため、正倉院の建物や宝物も国宝重要文化財等には一切指定されていなかった。しかし、「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産として登録されるにあたり、当該文化財が所在国の法律によって保護の対象となっていることが条件であることから[35]、正倉院の建物も、正倉院正倉として1997年(平成9年)5月19日文化財保護法による国宝に指定された(国宝に指定されたのは不動産である宝庫の建物だけで、動産である宝物類は指定されていない)。

西の正倉院

門外不出であった正倉院の原図をもとに、天然材を使って細部に渡って忠実に再現した木造建築「西の正倉院」が、計画5年、建築5年を経て1996年(平成8年)に宮崎県東臼杵郡美郷町に建設され、奈良の正倉院では見ることのできない内部構造を見学することができる(正倉院南倉に収められている唐花六花鏡と同じ銅鏡も展示している)[36]

正倉院展

正倉院宝物は通常時、非公開である。1875年(明治8年)から1880年(明治13年)に、毎年開催された奈良博覧会の一環として、東大寺大仏殿回廊で、一部が一般に公開された。1889年(明治22年)から1940年(昭和15年)では、正倉院内の陳列棚を設けて、曝涼(宝物の「虫干し」のことで定期的に行われる)の際に限られた人々に拝観を許していた。また、外国の高官のため、特に開封することもあった(例、1922年イギリス皇太子拝観)[37]

森鴎外は、晩年に帝室博物館総長兼図書頭に就任した後の1920年(大正9年)、曝涼の際に研究員による調査が行われるよう働きかけを行った[26]

第二次世界大戦前の大規模な一般公開は、1940年(昭和15年)11月の皇紀2600年記念として東京帝室博物館で開催された正倉院御物特別展である(約140点)。11月6日から11月24日の間に41万4300余人が入場し、博物館の入場者数の記録を塗り替えた[38]

染織品の展覧は、1924年(大正13年)4月に近隣の奈良公園内にある奈良帝室博物館で大規模な展示があり、さらに1932年(昭和7年)にも開催された[39]。第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)に奈良帝室博物館で「正倉院御物特別拝観」として開催され、翌年以降、奈良帝室博物館から改称した奈良国立博物館で秋の2か月の曝涼にあわせて開催されるようになった。最初は「正倉院御物展」「正倉院展覧会」といった表記ゆれがあり、現在の「正倉院展」の名称が定着するのは1952年(昭和27年)頃からのようである。正倉院展は奈良で開催されなかった年もあるが、2018年(平成30年)に第70回を迎えた。

管理する宮内庁が整理済みの宝物だけで9000点に上るが、このうち正倉院展で公開される宝物の品目は毎年変更され約70点のみである[40]。よって代表的な宝物を見るには複数年の見学が必要になる。学芸員が手作業で点検と陳列を慎重に行うがそれに前後約40日の時間を必要とするため、開催期間は約2週間程度と短い。

毎年多くの見学者を集めているが、観覧者数が特に伸びたのは2001年(平成13年)以降である。2001年(平成13年)から主催機関である奈良国立博物館の独立行政法人化を契機に、外部から協力[注 3]を受ける開催方式となる。最初の4年間は朝日新聞社がその役割を担い、観覧者も前年より5万人ほど増加した。しかし、その後は低減し、独法化前と大差のない13〜14万台に戻り、2019年(令和元年)11月1日に累計観覧者数が1千万人を達成した[41]。2005年(平成17年)の第57回から協力主体が読売新聞社に移ると、読売関係各社を動員し、それまでにない多彩で大規模なメディア展開を実行する。近年の観覧者急増には、正倉院展自体に集中的に言及するメディア体制の出現が背景にあると言える[42]

なお、帝室博物館の流れを汲む東京国立博物館に於いても5年に1回、正倉院展の時期に行われる展覧会で同院の収蔵物が展示される[43]


注釈

  1. ^ イギリスのSoame Jenyns(1904 - 1976)は「Jenyns, Soame; Watson, William(1963), Chinese art; the minor arts 邦訳 中国工芸、美術出版社」で、「江戸時代の日本で制作された」と推定した。ただ、現在は支持されてはいない。正倉院に納入された時代が不明であることもあり、1960年代から制作地制作年代には諸説がある。
  2. ^ 建築史家の鈴木嘉吉は校木収縮説を明確に否定しており、正倉院事務所長を務めた和田軍一も否定的見解を述べている[25]
  3. ^ 展覧会の「協力」とは、一般に開催する展覧会を成功させるため、広報や技術提供、観覧者満足度の向上などの側面において主催者の支援を行うこと。通常「協力」主体は、直接の資金援助は行わず、反対に観覧収入などから見返りも受けない。

出典

  1. ^ 三訂版、知恵蔵、防府市歴史用語集、世界大百科事典内言及, 精選版 日本国語大辞典、デジタル大辞泉、日本大百科全書(ニッポニカ)、百科事典マイペディア、日本歴史地名大系、山川 日本史小辞典 改訂新版、世界大百科事典 第2版、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、旺文社日本史事典. “正倉院(しょうそういん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年11月24日閲覧。
  2. ^ a b 公開講座『正倉院の工芸 遣唐使は何を持ちかえったか』 奈良女子大学社会連携センター
  3. ^ a b 西川明彦「正倉院宝物の意匠にみる国際的展開」米田雄介ほか編『正倉院への道天平の至宝』(雄山閣出版、1999)所収、p.132
  4. ^ 第28回 日本のあかり文化とSSL その2「シルクロードのあかり」から”. LED NEXT STAGE. 2024年6月3日閲覧。 “宝物には国産品の他に中国8世紀ごろの唐の品々やインドやイラン、ギリシャやローマ、エジプトなど当時の主要文化地域の特徴を有す品々も含まれます。当時の唐は西方との交易も盛んで、西方文化はシルクロードを通じて唐に移入されました。その西方的要素を含んだ国際性豊かな品々が、海を渡り正倉院宝物ともなっています。正倉院がシルクロードの東の終着点といわれる所以です。”
  5. ^ “神宿る海の正倉院 厳格な禁忌、守られた宝物”. 産経ニュース. (2017年5月6日). https://www.sankei.com/article/20170506-QPP22HRA4RJ7NEIQAOB7TOUBHE/ 
  6. ^ “高野山 霊宝館 1000年後見据え、文化財を保存 “山の正倉院”開館100年 /和歌山”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2021年5月31日). https://mainichi.jp/articles/20210531/ddl/k30/040/239000c 2022年7月15日閲覧。 
  7. ^ 春日大社 国宝殿
  8. ^ “春日大社 千年の至宝「平安の正倉院」の名品”. 毎日新聞. (2017年1月23日). https://mainichi.jp/articles/20170123/dde/012/040/008000c 
  9. ^ 平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展-国宝 平城宮跡出土木簡-」 平城宮跡資料館
  10. ^ a b 由水 1996
  11. ^ 2010.10.28のおしらせ元興寺文化財研究所
  12. ^ 東大寺ミュージアム | 東大寺・奈良公園 [奈良県]”. 国宝を巡る旅. 2023年11月24日閲覧。
  13. ^ 主に米田・杉本『正倉院美術館』による
  14. ^ 正倉院”. 刀剣ワールド. 東建コーポレーション. 2024年6月5日閲覧。 “「鳥毛立女屏風」は、6扇(ろくせん:6枚の面からなる作品)の美人画として名高い屏風です。唐風の衣装を身に着け、樹下に佇む女性を1枚に1人配した構図となっています。 描かれている女性の髪や着衣、樹木などに山鳥の羽毛が貼られていたため、「鳥毛立女屏風」と呼ばれることになりましたが、現在では羽毛のほとんどが剥落(はくらく)し、残っているのは下図の黒い輪郭線のみです。 絵に用いられた羽毛が日本産の山鳥の物であることから、「鳥毛立女屏風」は舶来品ではなく、日本で制作されたと考えられています。”
  15. ^ 伊藤義教『ペルシア文化渡来考』 岩波書店、1980年
  16. ^ 正倉院の香木“蘭奢待”について知りたい”. 国立国会図書館. 2024年3月26日閲覧。 “蘭奢待 らんじゃたい 正倉院中倉に伝世する香木。”
  17. ^ 奈良国立博物館だより 第23号”. 奈良国立博物館. 2024年3月26日閲覧。 “香道が盛んになった室町時代以降の関心の的は、なんといっても蘭奢待です。足利義満・足利義教・足利義政・織田信長・徳川家康など、時の権力者がこれを截ったこともよく知られています。近代に入ってからは、明治10年(1877)に明治天皇が截らせています。”
  18. ^ 改訂新版, 山川 日本史小辞典. “正倉院 螺鈿紫檀五絃琵琶とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年3月23日閲覧。
  19. ^ 歌唱編|文化デジタルライブラリー”. www2.ntj.jac.go.jp. 2024年3月23日閲覧。
  20. ^ 正倉院 - 正倉院”. shosoin.kunaicho.go.jp. 2024年6月5日閲覧。
  21. ^ 小野玄妙 1929
  22. ^ 松島・松本 1947
  23. ^ 正倉院聖語蔵経巻アーカイブ 富士フイルムと丸善による。
  24. ^ 光谷, 拓実. “年輪年代法による正倉院正倉の建築部材の調査”. 宮内庁. 2014年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月26日閲覧。
  25. ^ 鈴木嘉吉「新国宝 正倉院正倉」『月刊文化財』407号、第一法規、1997および和田軍一『正倉院案内』、吉川弘文館、1996
  26. ^ a b c あの信長も気を遣った?正倉院1200年の奇跡”. 読売新聞オンライン (2018年11月3日). 2022年10月6日閲覧。
  27. ^ 安藤 1947
  28. ^ 大正の大修理(宮内庁)
  29. ^ 正倉院正倉整備工事(宮内庁)
  30. ^ 正倉院正倉整備工事現場公開(宮内庁)
  31. ^ 古沢範英 (2014年10月21日). “正倉院、1世紀ぶりの修理完了 25日から公開再開”. 朝日新聞デジタル. 2014年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月3日閲覧。
  32. ^ 共同通信社 (2014年5月16日). “平成の正倉院、お目見え 100年ぶり大修理終える”. 日本経済新聞社. 2014年11月3日閲覧。
  33. ^ 1997年4月19日付読売新聞朝日新聞報道
  34. ^ 高木博志『近代天皇制と古都』、pp.231、2006年、岩波書店、ISBN 4-00-022550-2
  35. ^ 鈴木嘉吉「新国宝 正倉院正倉」『月刊文化財』407号、第一法規、1997、など
  36. ^ 西の正倉院パンフレット
  37. ^ 松島・松本 1947 または 東野 1988 170p
  38. ^ 入場者四十一万余は新記録(『東京日日新聞』昭和15年11月25日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p270 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  39. ^ 和田 1967 または 東野 1988 172p
  40. ^ 第61回正倉院展パンフレットによる。
  41. ^ 2019年11月2日付・読売新聞第3社会面
  42. ^ 小川伸彦 「正倉院展へのメディア展開 --二〇〇五年秋の「事件」を読む」『美術フォーラム21』 vol.14、醍醐書房、2006年(平成18年)4月号、ISBN 978-4-925185-24-0
  43. ^ 近年では「日本国宝展」(2014年10月15日〜12月7日)や、御即位記念特別展「正倉院の世界」展(2019年10月14日〜11月24日)。
  44. ^ 「天平の秘宝」 ―正倉院宝物を探る― - NHKアーカイブス 1981年11月9日
  45. ^ 正倉院 天平の宝物を守り抜いてきた宝庫 - NHKアーカイブス 2024年3月3日閲覧
  46. ^ 正倉院の奇跡 ~守り継がれた天皇の倉~ - 読売テレビ 2019年10月19日
  47. ^ 天皇が創った至宝〜正倉院宝物が伝える“日本誕生”〜 - NHKオンデマンド 2019年10月30日
  48. ^ 至宝からひもとく天平の祈り~第72回 正倉院展~ - NHKアーカイブス 2020年11月1日
  49. ^ 史上初のプロジェクトに密着2年!正倉院の1300年前のガラス宝物・完全再現に挑む - 読売テレビ 2023年11月3日
  50. ^ 華麗なる宝物 天平の祈り ~第75回 正倉院展~ - NHKオンデマンド 2023年11月5日
  51. ^ 奈良・正倉院~なぜ1300年もお宝を守れた?~ - 美術展ナビ 2024年3月2日






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