日本のアナウンサー 歴史

日本のアナウンサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 04:21 UTC 版)

歴史

ラジオ放送開始時は経験者や手本になる資料などは存在せず、組織的な研修もできず、新聞記者や編集者から選抜された者が各自で話し言葉のスタイルを模索しつつ遂行した。

1925年(大正14年)3月22日社団法人東京放送局によりラジオ放送が開始され、東京日日新聞の運動部記者出身の京田武男が第一声を発した。放送開始時のアナウンサーは他に、大羽涛(大羽仙外)、熊崎真吉、桐野音次郎の3名がいる。6月に翠川秋子が入局し、日本初の女性アナウンサーとなった。

日本初のスポーツ実況中継は、1927年(昭和2年)8月13日の第13回全国中等学校優勝野球大会札幌一中青森師範の試合を、社団法人日本放送協会元銀行員の魚谷忠が担当した。

1953年(昭和28年)2月1日、テレビ放送が始まる。第一声は志村正順アナウンサーによる局名アナウンスで、続いて当時NHK会長の古垣鐵郎が挨拶した。

1961年(昭和36年)にNHKを退職して独立して1962年(昭和37年)に民放番組の司会に抜擢された、高橋圭三が日本初のフリーアナウンサーである。

アナウンサーの主な仕事

「自分の声・言葉」を用い「広く一般に事象を伝達する」ために、アナウンサーは正しい日本語能力を要し、文法アクセントに加えて放送局が内規する放送用語も順守する。主たる業務を下記する。

上記の「視聴者・聴取者」向けの放送への出演や取材の職務のほか以下のような放送以外の業務もある。

  • 番組出演の前打ち合わせと準備(メイク衣装合わせ、原稿の下読みなど)および反省会。
  • ディレクターを兼ねたり、編集作業の一部を担当(地方局ミニ番組では人員的制約によりこの傾向が強い)などの地味な作業もある。
  • 放送局関連のイベントの司会
  • 放送局やアナウンサー自身のブログtwitterの管理。

雇用

NHKの全国のアナウンサーの人数は、2018年時点で、およそ500人である。

男女比

NHKの正局員における現役アナウンサーは東京本部・地域拠点局を含む地方放送局を問わず、古くから男性の方が女性より比較的多い。

民放の放送局における現役アナウンサーは、かつては性別に分けると男性の方が女性より多いという局が比較的多かったが、2018年現在は性別に分けると一つ目は男性も女性も人数が同数という局、二つ目は女性の方が男性より多いという局が増加傾向にある。また、民放の放送局での現役アナウンサーの性別での伸び率は女性の方が高い。

勤務内容

若手を中心に宿直・早番・遅番などの交代勤務があり、早朝や深夜の生放送を担当する場合も含め、勤務時間や生活サイクルが不規則になる例も多い。報道・情報番組は準備のため放送開始2時間前には出勤する必要があるため、早朝番組で生放送する出演者は深夜(2~3時)に自宅を出る(もちろん公共交通機関は一切動いていないので、局差し回しのタクシー、または許可を受けて自家用車で出社。自動車通勤は交通事故の懸念から通常は許されていないが、地方局では通勤のための交通機関がない場合もあり自動車通勤が認められている放送局もある)など、その勤務実態は過酷である。

職務の性格上、勤務は曜日が基準となり祝日も無関係であるが、一般に年に1回5日間程度のまとまった休みをとることが認められている。一部放送局では、労働組合との協定で週休2日制を強く守っている場合もある。(NHKの地方局ではその傾向が顕著である)社員であるため年次有給休暇も与えられるが、ほとんど消化できないのが現状で、1〜2か月まとめて消化してから退社する若しくは定年退職者は嘱託に移行といった例も多い。正職員アナウンサーが嘱託となって継続雇用される場合でも、同様の例が多い。(シニアスタッフは除く)但し、地方局では嘱託職員は勤務日数が正職員よりも少なくなることも近年では目立っている。さらに、嘱託を過ぎてからの再雇用制度であるシニアスタッフ(基本的には正社員としての雇用期間を満了した60歳以上の職員、場合によっては70歳以上の職員。NHKにおいては定年時に嘱託になるかシニアスタッフになるか選ぶことができるようになっている)においては、東京本部においても、多くても勤務日数は週4日程度に抑えられている。東京本部においては、中には週1日や週2日の勤務をしているシニアスタッフも極僅かではあるが存在している。地方局では週4日や週3日勤務が基本であるなど、近年では定年退職者を中心に柔軟な働き方も見られるようになっている。しかし、正職員の働き方は今現在も過酷であり、改善はあまり進んでいない現状がある。

地方局の場合はスタッフの人員が少ないため、アナウンサーであっても報道記者やディレクターなどの裏方仕事を兼務する例が少なくなく、支局駐在となる例もある。

職場環境・福利厚生

局アナウンサーは、編成部門のアナウンス部あるいは放送部などに属している。労働条件については正社員のほか、契約社員として勤務している者もいる。局アナウンサーは「社員」なので、基本的に局内に机もあり、仮眠室・食堂・ネットワーク・保険など社内の施設・福利厚生を利用できる。

様々な雇用関係

放送局の正社員・契約社員として所属している者のほか、芸能事務所制作会社からの派遣社員も存在する。在京キー局ではTBSTBSニュースバードのキャスターや、TBS954情報キャスター(ラジオのみの出演)などが派遣社員でほぼ派遣先の放送局の専属出演する。TBSの場合、これらのキャスターは地上波放送への出演は少なく、それぞれCS放送やラジオへの出演が中心となる。局によっては「リポーター」「パーソナリティ」と称する。なお、ラジオ局の場合は中継車の運転やディレクター業務などアナウンス業務以外の業務も担うことがある。

フジテレビは、かつて「専属リポーター・司会者募集」の名目でアナウンサーを募集していた。これは当時同局に存在していた「労組・第二労組」の2組織に対し、創業者の鹿内信隆が、組合所属のアナウンサーをそのまま“アナウンサー”と呼び、第二組合の所属者を“リポーター”(正式名は「報道局解説放送室付リポーター」)や「司会者」と呼んで差別化を図っていた、いわゆる会社の内紛に起因した事象である。どちらも業務内容は全く同じで、これがアナウンサー採用試験と知らずに受験した者もいた程だった。田丸美寿々辛坊治郎らもその一員とされる。辛坊はこの事実を知りフジテレビに入社せず、読売テレビに入社した。

GyaOは「ギャオーディション」というオーディション番組でアナウンサーを募集した。これはGyaOでのアナウンス業務をはじめ、ドラマ・バラエティ・映画など、自社媒体の番組へ出演する者の公募であり、GyaOを運営していたUSENの社員としての募集ではないので、一般にいわれる局アナウンサーとは意味が異なる。

契約アナウンサー

契約局員 (NHK) ・契約社員(民放など)は「契約アナウンサー」と呼ばれる。人件費削減の波を受け増加傾向にあるが、契約社員の直接雇用等、今後の課題が多く残されている。

契約アナウンサーは女性に多く、男性では少ない。

NHKは多くの場合、女性アナウンサーの事例にあてはまる。職員・契約を合わせたアナウンサーのうち、女性は職員アナウンサーが少なく、配属されていない地方放送局もある。そのため、各放送局が個別で契約アナウンサーを採用する例が比較的多い。

芸能事務所(東京・地方を問わず)に所属している放送局の契約アナウンサーも少なからず存在している。

契約アナウンサーをキャスターまたはリポーターと称している。そこからNHKの正職員・局アナウンサーとなったのは、現在までのところ森田美由紀荒木美和の2人のみであり、非常に狭き門となっている。

民放ローカル局を中心に契約社員を採用する局が増加しており、非正規雇用がアナウンサーの分野にも広がっている。

フリーアナウンサー

この場合の「フリー」は、放送局と直接の雇用関係がないことを指す。完全なフリーランスでなく、人材派遣事務所や芸能事務所などに所属している者もこう呼ばれる。

局アナとフリーアナウンサーの仕事内容に実質的な違いはないが、雇用形態に大きな差がある。局アナは社員・職員としての給与と仕事の供与、労働三権が保証されている代わりに、社命である業務や異動を基本的に断れない。勤務地が大きく変わることはないが、別の分野を担当させられる。要は局アナは「会社員」(NHKのみ「団体職員」)であり、その権利と同時に組織の一員としての義務を負い、局の方針に反することはできない。一方、フリーアナウンサーは、雇用契約契約書の形式や内容が異なり、仕事内容が明記・限定された形で契約書に署名する(つまりその特定の仕事限定、端的に言えば、特定の番組限定で出演する契約を結ぶ)。仕事の契約は、事務所や知り合いの紹介、オーディションなどを通じ自ら競争を勝ち抜いて獲得する必要があるが、別の角度から言えば、嫌な仕事に関しては契約を結ばなければよいので「仕事の内容を選ぶことができる」とも言える。逆に言うと、仕事内容や契約相手の局は選べるかわりに、どの局からも相手にしてもらえず、全く仕事が無い状態になり無収入になってしまう可能性もある、とも言える。つまりテレビ局の側にも、多数のフリーアナウンサーの中から自局に都合のいい人を選ぶ自由があり、契約を結ばない自由がある。

フリーになる人の動機はさまざまである。そもそも最初からフリーアナウンサーとして活動している人々もかなりの数いる。別業種からの転職者もいる。局アナがその局の番組に出演して獲得した知名度を活用して(その知名度を他局に高く売れるあいだに、と)フリーになる場合もあり、その場合、単純に高収入の可能性があることに惹かれてそれを選ぶ人もいる[注 1]。「自分を試したい・仕事の幅を広げたい」という理由を挙げる人、つまり他局でフリーでならばもっと違う仕事で実力を発揮できるはず、と感じるから(あるいは、そういう建前で)フリーを選ぶ人もいる。もっと違う理由で、たとえばテレビ局が報道らしい報道を行っておらず権力者におもねったような腐った報道をするばかりで、おまけにテレビ局のプロデューサーがスタッフやアナウンサーに対してセクハラを連発していて、そういう問題だらけのテレビ局にうんざりして、別の局で仕事をするためにフリーになる場合もある[1]

フリーになった後の報酬の額は、一種の「運」や、自身のアナウンサーとしての実力、自身の世渡り術、そして外部の諸要因という大きな要素群[注 2]など、さまざまな要因が影響する。成功できると思って退社してフリーになった途端に病気に罹ってしまい、無収入になってしまう場合もある[2]。自分には実力があると信じ高収入を得られると期待してフリーになっても、ふたを開けてみたら収入が大幅減となってしまい、後になって自己評価と他者評価に大きな乖離があったことに気付かされる場合もある[3]。運にも恵まれ、外部要因にも恵まれ、かつアナウンサーの実力もあり、世渡り術にもたけている場合は、フリーアナウンサーになることで局アナよりも高額の収入を得られる例もある。(ただしフリーアナウンサーは各種手当や福利厚生もなく、業務必需品は自分で揃える必要があり、実は単純に額面通りの差だけ豊かになるわけではない。正社員というのは、"見えない"形で様々な報酬を得られており、フリーになるとそれが消滅する、という面はある。)。仕事のミスに対する批判や視聴率の評価は、局アナウンサー以上にシビアであるとされる。(野球チームが雇う「助っ人外人」のように)即戦力扱いで実際に高視聴率という結果が出た場合は「便利なコマ」として扱かってもらえて高報酬を払ってもらえる可能性が高いが、一旦、何かの拍子に視聴率低迷などという現象が起きると、実力不足などと判断され、(「もはや用なし、と判断された 助っ人外人」のように)番組プロデューサーから簡単に見切られがちで、つまり一種の「使い捨てのコマ」扱いで、単純に契約解除となり、局アナ(正社員)のような「セーフティネット」は無く(他番組の仕事をあてがってもらえるわけでもなく、他部門に所属する形で給料を支払ってくれるわけもなく)、仕事も無くなり無収入になってしまう可能性もかなりある。つまり局アナからフリーアナウンサーになることは、わかりやすく言うと一種の《賭け》であり、博打(ばくち)を行うような状態、「イチかバチか[4]」の状態になる。そんなわけで、フリーになると決め辞表を提出した時は平気だったのに、いざ退社の時期が迫って自身の境遇が変化することをひしひしと感じ始めると悪夢を見たり、辞めてしまった後になっても、辞表を出したこととか辞めたこととか全部ナシにならないかな…と思ったり、もう今さらしょうがない、と思うなどして、長期間気持が揺れ続ける人[4]もいる。

なお、局アナが所属局を退職してフリーアナウンサーに転身する場合、古巣局への義理立ての意味もあり、フリー転身直後は一定期間他局への出演を控えるという慣例がある。明確に一定期間他局に出演しないと古巣局と取り決めを持つ場合もある。系列局制作番組や企業のコマーシャルへの出演はフリー転身直後でも可能の場合あり。

その一方で、大塚範一小倉智昭露木茂羽鳥慎一武田真一のようにフリー転身の翌月から他局でレギュラー番組を持つという例外もある。特に羽鳥は日本テレビ退職の数日後にテレビ朝日でレギュラーでの冠番組を開始させた。この時は日本テレビ・テレビ朝日両社上層部との話し合いがあったという。羽鳥のこの離れ業でフリー転身後の身でも他局からの仕事を請けやすくなったという向きもある[5]。また、一時期の三雲孝江小宮悦子高島彩藤井貴彦、ラジオ局の元アナウンサーなどのように、フリー転身後も他局ではほとんど仕事をせず、古巣局制作番組しかほぼ出演しないという人物も存在する。なお、羽鳥は退職後にレギュラー番組を持ったテレビ朝日系と古巣局である日本テレビ系の制作番組にしかほぼ出演していない。

NHKアナウンサーがフリーとなる場合、初めのうちは民放局と専属契約を結び、軌道に乗ったら完全フリーに、という傾向が多い。羽佐間正雄久保純子のようにNHK退職直後にNHKと専属契約した人物もいる。ただし、専属契約となる形でのフリーだけではなく、在京キー局や在阪準キー局への移籍というパターンもある[6]。また、民放局と違い、退職後にNHKの番組に出演することはほぼない(有働由美子、武田のような例外もあるが)。

採用

新卒採用の場合、4年制大学卒業を必須としている局がほとんど(地方局では短期大学卒業者を採用対象とするところもある)で、さらに募集要領には年齢制限、留年制限を設けているところが圧倒的に多い。また、大学のコースは文系・理系は関係無く採用対象となる。また、NHKのみ毎月のNHK受信料を払っている事も条件である[注 3]。また総務、制作などの部門とは採用枠が別に設けられていることも多い。前述の通り非常に人気の高い職種であるため、その競争率は非常に高くキー局アナウンサー試験の倍率は芸能オーデションの倍率をも凌駕する倍率である。居住地や出身地以外、さながら日本全国の放送局に対し応募書類を送ることも珍しくはなく、面接の度に日本全国を行脚する志望者もいる。学生時代にアルバイトでアナウンサーやリポーターの経験を積むか、アナウンススクールで指導を受けた方が有利であるとされる[7]

採用試験(面接試験を含む)では正しい日本語が話せるか、好印象を与える雰囲気・容姿を持つか、とっさの機転が利くかなどが重視される。語学やスポーツといった、業務に活かせる得意分野が求められる場合もある。

入社後は、数か月間の研修の後、短時間のナレーション提供読みスポットニュースのような難易度の低いとされる業務に就き、多くの場合、入社後半年から1年でレギュラー番組出演となる。初めての生放送出演は「初鳴き」と呼ばれることもある。稀に、研修と並行して4月の入社時からレギュラー番組を獲得する例もある[注 4]。こういった例は人員の少ないローカル局がほとんどだったが、後にキー局でも見受けられるようになった。放送局などが直接運営するアナウンサースクールを実質研修の場と捉えていることがある。また災害対策基本法指定公共機関に指定されているNHKでは、深夜のニュースの放送終了後、全職員を対象にした災害発生時(特に緊急地震速報津波警報発令時)の緊急報道訓練をほぼ毎日実施しており、アナウンス部所属局員もその訓練を受ける。

非大都市圏の放送局を中心に、コストダウンのため、新卒採用であっても正社員としてではなく、期間を区切った契約職として採用する事例が増えつつある。これらの場合、契約満了時に解雇するか、それとも契約延長または正社員転換で残留させるかは、それぞれの放送局の判断に委ねられている。

2001年10月1日にTBS(現・TBSホールディングス)がラジオ部門を分社化させたのを皮切りに、認定放送持株会社移行を含むラジオ・テレビ部門の分社化が相次いでいる[注 5]。分社化したテレビ・ラジオ各局のアナウンサー募集・採用は人件費削減の観点からテレビ局側が行っており、ラジオ局に「アナウンサーの派遣業務」としてアナウンス業務を行っている。さらに、ラジオ局の送信所保守管理も経費削減の観点からテレビ局に委託している。

異動・転勤・昇進

多くの放送局では、アナウンサーは専門職とされるため、業務内容が大幅に異なる部署への異動になることは少ない。ただし、業務内容が近い報道記者への異動や解説委員就任、国内外の拠点への異動、本人の強い希望がある場合の異動もある。また、報道記者に転出しても主にワイドニュースなどニュースキャスターとして出演を継続する元アナウンサーもいる。地方局の一部ではアナウンサーの肩書きを残したままで報道記者兼任という場合もある。また、現在は少なくなったが、放送局を新規に立ち上げる際、所属予定の系列局もしくは立地地域の既存の放送局から新設局のアナウンス部門の指導員として出向する例もある。

従来は異動の少ない業種だったため、一般部署への配置転換が否定的に報じられる事もある[9][10]。しかし2000年代頃より、アナウンサー個人のスキャンダルに対する一種の懲罰や、テレビ放送の完全デジタル化による負担増に伴う人件費抑制策などで人事異動を全社規模化する放送局が増えており、アナウンス業務から外される事例は珍しくなくなっている。

NHKの女性職員アナウンサーも以前は東京本部(渋谷)に転勤になるとほとんど動かない例が圧倒的だったが、2010年代に入ると40歳代以上は管理職として、30歳代については男性局員との格差是正を主眼として、渋谷から強制的に転勤させる例が急増している。2011年は、年度替わりに30歳前後の2人が渋谷から出されたほか、6月24日付の幹部級人事では一気に5人が地域放送局のアナウンス統括職に起用され渋谷から転出、1人が渋谷内部で配置転換となった。なお、NHKの男性局員は全国各地を転々とするのが普通で(管理職クラスでも例外はなく、2021年には武田真一が、2023年には高瀬耕造大阪局に転勤した。)、その途中、人事でアナウンス部門から離れることも珍しくない。入局以来、渋谷で働いた経験がないという事例も少なくないほか、渋谷で長く残れる人もほんの一握りである。中にはその地方の土地柄や環境などを気に入り、まで建ててその地方局に継続的に、または職歴の大半において在籍するアナウンサーも極く僅かではあるが存在する。(一例としてNHKでは盛岡局上原康樹(現・岩手県議会議員)、佐賀局三上たつ次など)

鈴木史朗(当時TBS)のように別部署に異動していた元アナウンサーが復帰する例があるほか、報道記者が転身する例もある。対して、他部署から新たにアナウンサーになる例は、1980-90年代のテレビ東京などに見られる程度で少ない。また、アナウンス部以外の部署に所属していても番組出演機会がある場合、「アナウンサー」の名称を用いる例もある。

キャリアを重ねて管理職や役員待遇になると「チーフアナウンサー」や「エグゼクティブアナウンサー」の肩書きを持つ例が多い(主にNHK)。管理職もしくはベテランアナウンサーとなると、後輩の指導を行うほか、部内のアナウンサーのスケジュール管理業務や経営・企画会議の参加が増えるため、番組出演がやや少なくなる傾向にある。ただし、労働争議によるストライキで組合員である若手アナウンサーが出演を見合わせた[注 6]場合、彼らの代役として主に生放送番組に出演する例もある。主にスポットニュースやワイドニュースが該当する。ただし番組によってはワールドビジネスサテライトのように、元々担当しているフリー契約のアナウンサーやナレーターのみで乗り切る例もあれば、補いきれない場合は管理職のアナウンサーが出演する。ただ局によってテレビ東京のように人員が少なく補いきれないこともあり、その場合は同じ局で出演している同種番組のフリーアナウンサーが担当することもある[注 7]

アナウンサー現職のままの役員就任は、2003年に朝日放送取締役に就任した道上洋三(2007年に退任、現:常勤顧問)などの例はあるものの稀で、アナウンサー経験者の役員の多くは他部署への異動後に就任している。

仕事を求めて別の局へ移籍する例もある。地方局は契約社員であるなど身分が不安定なこともあってとくに多く、3社以上を渡り歩く者もいる。中途採用は経験者がほとんどであるが、異業種からの転職も見られる。

退職、他局への転職、フリー転身など

地方局を中心に複数の放送局に在籍している(していた)局のアナウンサーは多く存在している。また、1つの放送局の在籍期間は放送局を移籍した2局目か2局目以降に在籍した期間が最初に在籍した放送局よりも長いと言う例も多い。


注釈

  1. ^ 一説には「実力がある人ならば、フリーになれば10倍以上になる」ともいわれ、そういう話に心が動くのだろうと、つまりお金に惹きつけられることも多いのだろうと、容易に推察できる。
  2. ^ 世の中の視聴者の大きな動向、当該テレビ局側の諸事情、テレビ局vsテレビ局の競争状況、裏番組の状況、競合フリーアナウンサーたちの動向 等々
  3. ^ ただし、NHKの受信料が免除された場合を除く。
  4. ^ 入社時と同時期に行われる春の改編期に伴う新編成の都合上、中には入社式の前に番組に出演するケースもある[8]
  5. ^ かつてラテ兼営だったTBS(現TBSホールディングス)は2001年10月1日よりラジオ部門を子会社に継承。その後テレビ部門も放送免許と現業全般を子会社に分割承継し、放送免許は「TBSテレビ」と「TBSラジオ(分割承継当時の商号はTBSラジオ&コミュニケーションズ)」に分離(コールサインをラテ別々化)。STVは2005年10月1日よりラジオ部門を親会社の「札幌テレビ放送」より分社して子会社の「株式会社STVラジオ」に継承(ただしコールサインは網走局を除き開局当初からラテ別々)。中部日本放送は2010年7月1日よりラジオ部門を子会社化。その後テレビ部門も放送免許と現業全般を子会社に分割承継し、放送免許は「CBCテレビ」と「CBCラジオ」に分離(コールサインをラテ別々化)。朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)は2018年4月1日よりラジオ部門・テレビ部門を子会社に分割承継し、放送免許は「朝日放送テレビ」と「朝日放送ラジオ」に分離(コールサインをラテ別々化)。
  6. ^ 2000年代以降の在京キー局だけ見るとTBSとテレビ東京が該当している
  7. ^ 「本日は我々でお伝えします」あるいは「〇〇と××に変わって△△と□□でお伝えします」とだけ伝えられるだけで特段事情説明(夏休みや体調不良)されないまま番組は進行される
  8. ^ 女子アナウンサーがタレント化するはしりとなった(朝日新聞、2009年5月20日、35面)。
  9. ^ 見出しが「女子アナ」で本文では「女性アナ」という表記(女子アナ行かぬW杯 治安に不安、TV各局派遣見送り)。
  10. ^ ただし、番組やSNSで生年月日や年齢に触れられることもある。

出典

  1. ^ 小川彩佳アナを追放した報ステCPセクハラ懲戒 10人以上が被害東京スポーツ2019年9月5日。『ZAITEN』(旧『財界展望』)は、このチーフプロデューサーA氏を桐永洋と名指ししている。テレビ朝日・報道ステーション"キスセクハラ"プロデューサーの素顔(1)
  2. ^ [1][リンク切れ]
  3. ^ 元テレ朝・佐々木正洋アナの“大誤算”フリー転身で収入半減の「深いワケ」サイゾー2018年8月15日
  4. ^ a b 有働由美子が語る「一か八かの勝負時」 サザンの新曲に思い重ねバズフィードジャパン2018年6月23日
  5. ^ 週刊実話』2011年10月13日 特大号
  6. ^ 代表例:TBS土井敏之NHK佐賀局)、MBS田丸一男NHK大津局
  7. ^ 一例として、NHK(当時)の三浦拓実アナウンサーはラジオNIKKEI主催レースアナウンサー養成講座第1期生としてアナウンス訓練を受けている(後にNHK退局後にラジオNIKKEIに転職)。一部の大学には「アナウンス研究会」というサークルまで存在する
  8. ^ テレ朝・斎藤ちはる、入社式前にアナウンサーデビュー「楽しかった」”. ORICON NEWS (2019年4月1日). 2021年4月2日閲覧。
  9. ^ 入社29年目で“左遷” フジ川端健嗣アナに何が… 日刊ゲンダイ2013年8月6日掲載記事
  10. ^ 中野美奈子と同時に卒業した2人の女子アナ“気の毒”な最後 週刊ポスト2012年7月13日
  11. ^ 7/23(土)ご当地アナウンサー8人が集結!Koboスタ宮城で“わくわく夏まつり満喫対決”を開催!(楽天野球団)
  12. ^ 大橋未歩 『大橋未歩のミホちゃんねる!』 集英社、2006年、ISBN 978-4087804379、190頁 等
  13. ^ フジテレビは25歳が定年だった それってホント!?スポーツニッポン2016年10月19日、残間里江子の就職活動での実体験。
  14. ^ 週刊ポスト』2013年6月21日号
  15. ^ 週刊現代』 2008年8月23、30日号 25-27頁。
  16. ^ ウィンウィン対談 田丸 美寿々さん 「報道特集」ニュースキャスター逸見政孝氏 田丸美寿々を「20年に一人の逸材」と語っていた(NEWSポストセブン)日本初の女子アナ 1年で退社し9年後年下男性と心中した(NEWSポストセブン)田丸美寿々さん: わたしと司法 | 関東弁護士会連合会
  17. ^ a b 「女子アナ体張りすぎ!30年史」『FLASH』、光文社、2013年9月10日、p.50、2014年5月17日閲覧 
  18. ^ a b asahi.com(朝日新聞社):元祖美人アナ頼近美津子さんが死去 Archived 2009年5月23日, at the Wayback Machine.(新聞記事と内容は若干異なる)。元祖美人アナ頼近美津子さんが死去、53歳
  19. ^ 河野景子、八木亜希子ら80年代フジ女子アナ列伝 - NEWSポストセブン
    美人女子アナの草分け…頼近美津子さん死去(芸能) ― スポニチ 2009年5月20日、20面 Archived 2009年5月21日, at the Wayback Machine.
    元祖アイドルアナ頼近美津子さん、食道がんで死去 - 芸能:ZAKZAK
    追悼・頼近美津子さん 音楽を愛し、音楽に支えられ サンケイスポーツ、2009年5月20日、21面[リンク切れ]
    週刊ポスト」2009年6月5日号 小学館、30頁。
    「週刊ポスト」2012年1月1・6日号、58-61頁 「史上最強の女子アナは誰だ!!」
    女性自身」2009年6月9日号 光文社、50頁。
    文藝春秋」、2009年7月号、文藝春秋、276頁。
    『アナウンサーのすべて 女性編』共同通信社1998年、60頁。
  20. ^ 河野景子、八木亜希子ら80年代フジ女子アナ列伝 - NEWSポストセブン
  21. ^ 週刊サンケイ』 1981年2月11日号 26頁。
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  23. ^ a b c 「フジテレビの女子アナの目立ちたがり戦争花盛り 再び野球拳で脱いだ田丸、連日ゲームセンター通いの頼近、フジの看板娘山村、益田……。人気女子アナの奮闘ぶりは?」『週刊宝石』1982年10月29日号、光文社、214–217頁。 
  24. ^ 「第2の田丸・頼近を目指すテレビ局の"新人美女"を全角度品さだめ! ブラウン管に登場するフレッシュギャルを誌上紹介」『週刊宝石』1982年4月17日号、光文社、200–203頁。 
  25. ^ 民放キー局:女性アナ5人が出演する北京五輪放送CMが完成
    お笑いナタリー - 女芸人とテレ東女性アナがやりすぎ騎馬戦バトル
    日テレ女性アナが自殺か/主要ニュース速報/デイリースポーツonline
  26. ^ 有賀さつき 『さつき白書』 浪漫新社、1994年、ISBN 978-4847012020
  27. ^ アナウンサーの結婚式司会は闇営業なのか?”. アサ芸ビズ(2019年6月24日作成). 2019年6月29日閲覧。





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